20XX年のゴッチャ その96

通信解析

 
 
 フランスのDGSE・対外治安総局は大友達が居ると思われる場所を間もなく割り出、し係官を急派したが、大友チームは既に引きあげた後だった。
 
 誰が撮影をしていたのか、調査が始まった。
 
 DGSEアジア担当次長のジャン・ルック・モローの部屋に北朝鮮担当チームのルイ・ラファエル・シモンが駆け込んだ。核実験強行と凍結宣言の影響で、担当者はまだ全員オフィスに残っていた。
 
 善後策の協議が始まった。同時に、世界のニュースのモニターが強化された。患者の話が表に出てしまえば大騒ぎになる。
 
 大友とベルナールの身元は比較的短時間で割り出された。DGSEはフランスに駐在するメディアのメンバーのリストと顔写真も持っているからだ。大友達の通信状況のチェックが始まった。
 
 ここがロシアや中国であれば、大友達は直ちに拘束されることになったかもしれない。しかし、フランス当局はそこまではやらない。テロリストならともかく西側の正規の報道特派員をいきなり拘束すれば問題が却って大きくなる。
 
 通信状況のチェックから、映像は既に日本に送られていると踏んだモローとシモンは、それがいきなり放送されることがないよう祈りつつ、メトロポリタン放送の番組とウェブの二十四時間モニターを東京のフランス大使館にある分室に依頼した。
 
 正規のメディアであれば、彼らが捉えた人物の特定を完了する前に報じることはないという期待もあった。見当をつけただけで報じることはない筈だからだ。
 
 大友達が患者の人定を絞り終えていないことは通信内容の解析で間もなく分かった。万が一の場合はとことん否定する。それしか術はないことを二人とも承知していた。
 
 その上で、翌日、大友やベルナールが撮影場所に現れたところで、係官が任意同行を求めることにした。来なければ別の部下がオフィスを訪問する手筈だった。
 
 これ以上ウロチョロされるのは困るのだ。
 

休暇指示


 
 翌金曜日、朝のニュースとワイドショーは北朝鮮の核実験と凍結宣言関連のニュースで持ち切りだった。
 
 凍結と査察受け入れの宣言が何ら前提条件を付けることなく為された以上、IAEAは査察団を派遣するしかないというのが各社の分析だった。そして、これが半島情勢の緊張を大幅に緩和することに期待する論調も増え始めていた。
 
「期待は私もするけれど、先の事は分からないわ…」
 
 菜々子は大友の報告に目を通しながらそう思っていた。過去に何度も西側は煮え湯を飲まされてきたからだ。
 
「お疲れ様です。映像は量的にはこれで充分かと思います。後はやはり人定確認と退院待ちでしょうか。引き続きよろしくお願い致します」
 
 菜々子は大友にこう返信した。そして、直ぐに身支度を始め、本社に向かう。昨夜から雨続きの為、菜々子は薄いグレーのスーツの上に鮮やかな緑色のレイン・コートを羽織り、同色の傘を持った。少し肌寒かった。
 
 自席に到着すると菜々子は様々なメールやメッセージをチェックする。
 
 戸山班の状況に変化はない。このまま症状も出ず、他のスタッフに陽性者が出なければ一週間後には隔離は解除される見通しという報告が戸山から入っていた。
 
「お早うございます。皆さん、お集まりください」
 
 坂口淳編集長の声がスピーカーを通じて流れた。朝の定例編集会議が始まるのだ。
 
「それでは、まず、北朝鮮関係からお願いします。国際取材部さん」
 
 坂口が国際取材部デスクに発言を求めた。最新情報の報告が順に各部から披露された。
 
 メトロポリタン放送の昼ニュースは三十分枠でずっと放送されていて、民放他局に比べ倍の長さがあった。この枠を埋める為にも、メトロポリタン放送の記者達は前夜からネタ探しにより一層力を入れなければならなかった。
 
 時にそれは大変な努力を要したが、この努力の継続が他民放に比べて個々の記者の取材力をより強くする結果を生んでいた。記者の取材力は報道の足腰である。これをないがしろにしては良い報道は出来ない。
 
 政治部からは日本政府がやはり拉致問題の解決に向けて、この機会を何とか生かしたいと考えている旨報告があった。株式市場は、朝鮮半島、ひいては東アジア情勢の安定化への期待から、総じて買われる見通しと経済部デスクは報告した。
 
 会議が終わると菜々子は加藤報道局長から呼び出しを受けた。
 
「隔離明けに戸山をどうするつもりだ?」
 菜々子が部屋に入ると加藤は例によって直ぐに本題に入った。
 
「病み上がりでもありますし、少し休ませるつもりです」
 菜々子が応えると加藤が続けた。
「それはそうだ。戸山はぼちぼち一時帰国の時期ではないか?帰国させてしっかり休ませて貰いたい。それで良いな?」
 
 メトロポリタン放送の特派員達は、家族連れで赴任した場合、二年に一度、最大二週間の一時帰国が社費で認められる。
 
「一時帰国ですか…、本人が望むなら、それもありかも知れませんね…全然休みを取れていないのは他の特派員達も同じですが、コロナに罹ってしまったのは戸山だけですから、他から文句も出ないでしょうし…」
「では、そう指示してくれ」
「分かりました。あの…代わりにソウルに一人応援の記者を出しても良いですか?棚橋も大分疲れていますので」
「それは任せる。兎に角、戸山を一時帰国させてくれ。必ず、だ。頼むぞ」
「はい」
 
 菜々子は加藤の部屋を後にした。戸山の処遇に関してはやはり上から圧力が掛かっているのだろうと菜々子は推測した。
 
 
「すいません、甲斐さん、お休みの日に押し掛けまして…」
 
 その日夕方、臨時の休みだったオーフ・ザ・レコードに元内閣情報官の袴田剛の姿があった。バリっとしたダーク・グレーの三つ揃いに深紅のネクタイ姿だ。
 
「いやいや、この天気で予定していたゴルフがキャンセルになってね。暇を持て余していたんで全く大丈夫ですよ」
 
 襟元に見える赤シャツに編み込みのセーター、チノパン姿のルークが応えた。
 
「で、わざわざお出ましになって、どのようなご用件ですか?」
 
 そういうとルークは袴田にコーヒーをカップで出した。自分もマグから一口啜った。
 
「いや、他でもない北朝鮮なんですが、甲斐さん、彼らは本気だと思いますか?」
「それは私なんかには分からないですよ。でも、悪い話ではないんでしょうね…流れからすれば、もうすぐIAEAの査察団が北に入るんでしょう?」
「それはそうなると思いますが、その先がね…」
 袴田はそう言ってコーヒーを啜った。
 
「査察団が入って順調に活動を開始したら、北朝鮮はアメリカに対話を求める。アメリカは無碍に出来ず、何らかの形で、乗るしかないだろうというのは誰にでも想像できると思うけれど…」
「そこまではその通りになると思いますが、その先ですよね、問題は…」
「様子を見るしかないと思うけれど、袴田ちゃん達はどう見ているの?」
「当然、行動には行動の原則で、見返りを求めてくると思っていますが、アメリカが断り難いようなリーズナブルな要求で済むのか、それとも高飛車に出て来るのか…そこが最初のポイントかなと思っているんですがね」
 
 袴田はじっとコーヒーカップを見詰めながら呟くように言った。
 
「それはその時になれば否が応でも分かると思うけれど、今回、前提条件なしで凍結宣言に踏み切ったことを考えると、きっとその先の道を自ら直ぐに潰すような無茶な要求はしてこないんじゃないかな…今、北朝鮮は中国に相当浸透されている訳で、バランスを取る為にもアメリカを何とか引きずり込みたいんじゃないのかな…?私が言うまでもない事だと思いますけれどね」
「甲斐さんもやはりそう見ておられますか…、しかし、その先は簡単ではありませんよね。アメリカもおいそれと言われるがままにはしないでしょうし…」
「中国をけん制出来て、然るべき支援をアメリカからも引き出せれば、それで良しとするのかも知れないけれど、連絡事務所の相互設置と平和交渉の開始位は最低でも成し遂げたいんでしょうね。朝鮮戦争の終結宣言はその先になるんでしょうけれど…」
 
 1950年に始まった朝鮮戦争は1953年の休戦協定署名により事実上終結した。しかし、建前上はあくまでも休戦状態にある。その朝鮮戦争の終結を宣言することで正式に合意し、次にアメリカとの平和条約に繋げるのが北朝鮮の長年の狙いであった。
 
「そこまで行こうとするなら、北が更に譲歩しないと難しいと思うのですが、しますかね?」
 袴田は再び尋ねた。
 
「私に分かる筈もないでしょうが、当然、北も更なる譲歩の必要性は認識しているでしょうから、どこまで踏み込んでくるのか…抜き打ち査察や核物質、兵器の申告までいくかどうか…もっとも正直に全部晒すとは到底思えないけれど…彼らは中国だって信用している訳ではないだろうからね」
 
 政権すなわち事実上の王朝の維持に核抑止力は不可欠と彼らが信じている以上、完全廃棄を要求しても受け入れる筈は無い。ウクライナの例もある上、通常兵器だけではソウルに大打撃を与えることは出来ても、米韓に全く歯が立たないからでもある。時代が完全に変わらない限り、この状況は変わらない。
 
 そうかと言って、西側が言葉選びはともかくとして、C.V.I.D,の旗を降ろすことは出来ない。そんなことになれば核武装ドミノの動きが周辺で始まる恐れも出て来る。そして、それは中国も絶対望まない。こんなことは袴田も先刻承知だ。
 
「やはり、また袋小路ですかね…」
「そうなるのが普通だよね…残念ながら」
 
「そこで、もう一つお尋ねしたいのですが、健康問題については何か?」
「それが良く分からないところがあるみたいなんだ…ただ…」
 
「ただ?」
 袴田の来訪の目的はやはりこちらだった。
 
「かなり深刻だった状態が良い方向に向かい始めている気配はある。しかし、はっきりしないところがね…」
 
 ルークの歯切れは悪い。袴田が畳み掛ける。
 
「確かパリでしたか?ヨーロッパの何処かでしたか?取材の方は如何ですか?」
「いや、まあ、結構なところまで行っているらしいが、決め手に欠けるみたいなんだな…これ以上は、まだ何とも。しかし…」
「何でしょう?」
「いや、金一族は次の世代の事まで考え始めている可能性は高いと思っていますよ。根拠はありませんがね…」
 
「成る程…今回の一連の動きと関係はあるとお考えですか?」
「全く関係ないとは考えにくいと思っていますよ。私だけでは無くてね…でも、何がどう結びつくのか見当もつかないけれど…だから、今回の凍結宣言はかなり本気の可能性がある、支援を引き出したいというだけではないかもしれないと私は少しだけだけれど期待しているんですよ…」
「そうですか…参考になります」
 
 袴田はルークの発言の行間を読もうとしているようだった。いざとなれば袴田にまた頼らなければならない以上、ルークも木で鼻を括ったような返事は出来なかった。
 
「ところで、アメリカさんはどう値踏みしているんでしょうかね?」
 今度はルークが尋ねる番だ。
 
「結構真剣みたいですよ。当然と言えば当然なんですがね」
「日本の考えを、特に拉致問題を置いてけぼりにして、前に進んでしまう心配は?」
「当然、釘を刺すことになると思います。拉致問題を放置されたまま金だけ出させられるわけにはいきませんからね。国民も納得しません」
「拉致問題の全面解決も米朝国交正常化交渉に向けた事実上の前提条件に押し込むことはできそうですか?」
「当然、総理もそうしたいと考えていると思います」
「上手くいくと良いね」
「そう願っています」
 
 ここまで話をすると次に霞が関の人事の噂に話題は移った。そして、暫く後、袴田は席を立ち帰っていった。
 
 ルークは、オフレコという前提で、袴田との会話の要旨をメッセージにし、菜々子と桃子に送った。
 
***
 
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

本連載の複製・蓄積・引用・転載・頒布・販売・出版・翻訳・送信・展示等一切の利用を禁じます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?