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お手本通りに書くべきか?

先日、書についての質問をいただきました。
「ある程度の基本を押さえていたら自由に書いていいのか?それとも全くお手本通りに書けばいいのか?」
これ、すごく答えるのが難しいなあと感じてしまいました。
基本ってどこまで?自由ってどのくらい?
何が目的で、どういう字を書きたいのか?何歳くらいか?などで答えが変わるような気がしました。
 
まず、ちょっと、私の話を聞いてください!
 
私は今、二つのお教室で学んでいます。
ひとつは、「日本習字教育財団」でもうひとつは、「創玄書道会」です。
習字、書道教室って、いろいろな団体があるんです。
 
書道団体(会派)について

私は、日本習字で師範の資格を持っています。
この「師範」というものですが、公的機関によって認定されるものではありません。
所属している流派、団体によって認定される資格です。
級位や段位を取得していくとその先に、師範があります。(試験があるところもあると思います)
級位・段位も各団体によって認定されますので、師範になるまでの習熟度は様々なのではないか?と思います。
 
私は20代で「師範」を取得できたのですが、
ずっと、「お手本を見て」「お手本通りに書く」という教育習字だったので、
お手本がないと書けないな・・・情けないなあと思っていました。
日本習字の創立者、観峰先生の「正しく美しい」文字にまだまだ、到達できてないけれど、
でももう少し書く文字の幅を広げたいと思い、創玄書道会にも入りました。
 
 
そんな私は現在、
日本習字では、お手本をもっと忠実に再現したいと努力し、
創玄では、お手本を参考にしながらも、美しい字はどういう字か?と考えながら書いています。
 
書道の会派について、「教育系」とか「芸術系」と区別されますが、このあたりからが私のモヤモヤする部分であります。
検索したところ、日本習字は教育系、創玄は芸術系になるそうです。
教育系だからと言って、みんな同じ字を書けばいいとは言っていないし、
芸術系だからといって、自由でいいか?というと、そんなことはないです。やはり基礎は重要で、どこでも同じようにくり返し練習すると思います。
ただ、ひとつ感じるのは、創玄は日本習字に比べていろんな字を見ることができます。
月刊誌には、創立者の金子鷗亭先生以外の先生の文字も掲載され、
「美しい文字」の形が一つではないと感じます。
また、近代詩文というジャンルも、漢字とかなを融合させた文字で、答えが一つではないと感じます。
先生はいつも「アンバランスのバランス」と難しいことをおっしゃいます。


私の先生は、作品の審査員をも務める先生です。
先生がお手本を書いても、同じものはありません。
先生も「違うように書いている」「いろんな字があっていい」とおっしゃっていました。
 
それらを踏まえて私の考えですが、
教育系と言われる習字教室は、学校教育に基づきおこなわれているので、学校教育の中で正しいとされる文字を書けるようになるように鍛錬する場だと思います。
具体的には、字が書けること、書いた字が読める事、書いた字で相手に意思を伝えられること。字の成り立ちなどがわかること。など、実務的な要素が多いように思います。
これらを目的にすると、だいたい、小中学生が主に対象になると思います。
すると、お手本通りをめざしても、お手本通りに書けない子が大半。でもそこをめざすよ!という教育だと思います。
 
一方、芸術系といわれる教室は、教育系の「書写」「習字」の観点での訓練もしながら、表現力を伸ばす。
そのために、古典や近代詩文のような作品にふれたり、学んだりする。
教育系でも、古典を学ぶこともありますが、私が日本習字と、創玄を比べて思うのは、創玄の方が、古典に触れる文字の量が多いと思います。
芸術系は、教育系と全く別でもないし、教育系を極めた人が進む道でもなっくて、「書写能力を基礎として書ける文字の幅を広げる、広げたい」という人に向いていると思います。
 
さていよいよ、質問にもどります。
「ある程度の基本を押さえていたら自由に書いていいのか?それとも全くお手本通りに書けばいいのか?」
 
もし、質問者が小中学生で、進級したい!昇段したい!と思っているのであれば、お手本通りを目指してみてはどうかと思います。ある程度の段が取れたら、そこを極めるのか、幅を広げるのか考えられたらいいと思います。

質問者が、習字の経験があって、書で表現をしたいというのであれば、たくさんの文字や先生のお手本に触れ、どこをどう自由にしていいのか?どう表現したいのか?を考えながらお稽古してみてはいかがでしょうか?
 
「守破離」という言葉があるように、まずはやはり基礎だと思います。
それがなければ、「自由に書いたただの字」になると思います。
自由に書いた文字・・・でもいいのですが、
美しく品格があるなと思われる文字というのは、基礎ができているのだと思います。
 
※子どもが書いた字などで、基礎もなくて自由に書いただけの文字でも
なんかいいよね、味があるよね、と思うものもあります。
なので、なにもかもひとくくりにはできないところが難しいです。
 
最後に、お手本通りに書く、という事についてもう少しだけ掘り下げてみたいと思います。
 
書を習われた経験がある方は、よく耳にしたと思います。
「お手本よく見て!!」
これも深い言葉だなあと思います。
(習い始めの頃は、お手本をよく見るってなかなかできない。何を見ればいいか分からない。見ながら書くと上手に書けない。と思っていたことを思い出します。)
 
お手本通りに書くために
①   字形
とにかく最初は、字の形がお手本に近づくように書いていました。
例えば「書」という文字でれば、横画と横画の隙間を均等にするとか、一番長い横画はどれか?とか
それぞれの横画の向きをよく見る。
下の「日」は上を受けるように下にまとまっているな、などを意識します。(日の方が小さくなる)
また、書き順が正しくないと、正しい形にならないので、書き順もきちんとおさえます。
書体によって書き順が変わる文字もあるので、お手本をよく見ます。
 
②   筆使い
だんだん形が整えられるようになると、次は筆使いも意識します。とめはねはらいなどの基本点画をおさえます。楷書、行書によっても少し筆使いは変わります。ここが、なかなか時間がかかるところかもしれませんが、できる様になると筆を使えてるな!という字になります。
余裕があったら、筆の運びのスピード、リズム、力のかけ具合なんかもお手本から読み取り書いてみてほしいです。私はここが苦労します。
 
③   気脈(きみゃく)を通す
気脈とは、※筆脈(ひつみゃく)ともいう
実際にはつながっていない点画と点画の間に気持ちの繋がりがある事
毛筆の場合、筆の通る経路のようなもの。
気脈が通っていると、たとえ点画と点画が離れていてもまるで繋がっているように筆を動かすことになる。
 
① と②では要所要所、ポイントをおさえて書いていたと思います。書きながら、ここはこうだな、次はどうだ?なんて考えながら書いていると思います。でも最後は、意識をつなげてほしいのです。意識をつなげたいのです。もちろん楷書でもです。
文字と文字との間にも気脈があります。
お手本をよく見る、という言葉の中には、書く前にお手本をよく見て、どのように気脈がつながっているか?も確認しておく必要がありますね。
気脈が通ると何が違うか?

コチラの動画で違いに気づいていただけましたか?
気脈が通ると
全体的に、文字がまとまるようになります。
細かいところでは、穂先(筆の先)の入り方が正しくなります。
これは①にも通じるところですね。
文字の形を正しく取ろうとしたとき、書き順に加え、気脈までも意識するとだんだん自然とお手本に近づくのではないかと思います。
 

ここまでで、私は質問に対する答えをだせたでしょうか?
今回難しく感じたのは、

長く習字、書道を学んでいる人ほど、団体を変えない人の方が多いと思うのです。
子どもの頃習った先生にそのまま教わるケースがほとんどではないでしょうか?
子どもの頃は、そのお教室が何系?かなど気にせず、家から近いなどの理由で選んだのではないでしょうか?
それが
だんだん大人になって、いろいろな書があることを知るようになって、ようやく、どういう字が書きたい!というような気持ちが出てくるのではないでしょうか?私はそうでした。

質問の答えにはならないのですが、たくさんの文字に触れてほしいと思います。いろいろな文字があることを知って、自分はどういう字が書きたいのか?それを知ることができると、どのように勉強したらいいかが変わってくると思います。


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