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イライラの裏にあるもの

コミュニティの喪失

くも膜下出血によって失ってしまったものは健康な身体。
けれど健康な身体を失ったことにより大切にしていた居場所も失ってしまいました。

たまにやっていた仕事はオンラインで済むものでした。

音訳のボランティアも自宅で録音してデータで送信。
全て自宅で完結できるもの。

そして趣味だった刺繍。
これも材料はネットで揃えられるので多少足に障害が残っても失うものはないと思っていました。

ところが退院してどれもできないことに気がつきました。
急性期のときから「ない」とされていた高次脳機能障害でした。

仕事もボランティアも趣味もそして参加していたオンラインコミュニティさえも退会せざるを得なくなり、退院後半年ほどで全てのコミュニティを失うことになってしまいました。

何気ない言葉

所属するコミュニティもやりたいことも失い、眠れない日が多くなりました。眠れないとベッドの中で嫌な考えばかりがぐるぐる回るようになりました。

そんな時に見つけた対処法がブログを書くことでした。どうせ眠れないのなら起き上がって机に向かい色んな思いを言語化することにしました。

ところがたまたま目を覚ました夫に見つかってしまいました。
その時は「こんな時間に何やってるの。早く寝なよ」で済みました。

ところが後日、不眠の話になったとき「自分も最近寝られないことあるよ。でも仕事があるから君みたいに起きてブログ書いたりしないで横になって身体休めてるよ」と言われました。

決して嫌味で言った言葉ではないこと。そういう人ではないことはわかっています。
でも仕事をしていない私はその言葉に傷つきイライラしました。

わかってもらえないこと

高次脳機能障害をもつ私は日常生活で様々な不便を感じています。

道に迷ったり思いがけない出来事でパニックになったり。
「高次脳のせいかなあ」と呟いたら「何でも高次脳と結びつけちゃうよね」
そんな風に言われてしまいました。

料理をしていても手順がわからなくなったり、ガスを消し忘れて吹きこぼしたりしてしまいます。
人の声や物音に気を取られやすいことを思い出し「換気扇の音のせいかもしれない」そう話してみました。

すると「君の話を聞いているうちに自分も周りの声とか気になり始めたよ。
気にしすぎじゃない?」と言われました。

何気なく言われた言葉に私の症状をわかってもらえない悲しみと怒りがわいてきました。

医療の現場でさえ

何度かブログにも書いてきましたが、病院で受付の人や看護師さんに
「高次脳機能障害があるので」とお願いしても対処してもらえないことが多々あります。

先日も薬局の窓口で薬剤師さんにお願いしましたが高次脳機能障害という言葉にピンとこないのかゆっくり話してもらえることはありませんでした。

急性期病棟に入院した際、面会に来てくれた回復期の担当理学療法士さんには、明るい照明が苦手なのに「こんな暗い部屋にいたらだめだよ」と病室の電気を煌々とつけらてしまいました。

医療の現場でさえ、リハビリの現場にいる理学療法士さんにさえなかなか理解してもらえないこと。
そういうことを鑑みると家族とはいえ私の症状を理解できなくても仕方がないのかもしれない、そう思いました。

本当の自分の気持ちはなんだろう

外出時に荷物をもったりエレベーターを探したり左手足の麻痺についてはとても気を使ってくれる夫です。
だから決して障害に対して無理解なわけではありません。

ただ、一緒に暮らす家族とはいえ見えない障害の状態を想像することは難しいのだろうなと思っています。

そのことがわかっていながら必要以上に悲しみや怒り、イライラを感じるのは何故なのだろうか。

それは夫に対して引け目を感じているからではないかそんな気がしてきました。

仕事もしていないのに家事も満足にできないこと。
通院や何かある度に付き添ってもらわなければならないこと。
医療費や自費のリハビリなど多くのお金がかかっていること。

夫に対して申し訳ないという気持ちが時には負い目となっている気がします。

さらにどこにも所属できていない自分の状態に対し、職場に趣味にときちんと居場所を持っている夫に対するひがみのようなものがある気がします。

色んな気持ちが混ざりあって自分を卑屈にさせていること。
そしてそれが結果的に過剰に夫の言動に対して反応してしまうのではないかと思うのです。

自分の気持ちに気がついて

引き金を引いたのは夫であっても根本的な問題は自分であることに気がつきました。
じゃあここからどうするか?

すぐに夫に高次脳機能障害を理解してもらうこと。
私が感じている世界を同じように感じてもらうことは難しいと思います。

だからといって自分の卑屈な感情を抑えること。
このことも一朝一夕にはできないと感じています。

であれば何故こういう過剰反応に至ってしまうのか、このことをきちんと説明し理解してもらうことが早道のような気がします。

互いの中でなるべく誤解のないように、理解しやすそうなことから少しずつわかってもらうことが大切であり、その努力はちゃんとすべきなのだと思いました。