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全ては人による?


久しぶりに検査に行って

ゴールデンウィーク明けのんびりしたいと思いつつ予定が目白押し。
とりあえずは高次脳機能障害の診察に向けての検査に明け暮れています。

連休前も詰め詰めでテストを受けていた私ですが、ラストスパートとばかりに連休後もテスト三昧の日々です。

「疲れる検査ですが受けますか?」と言われてはいましたが、こんなに大変だとは思ってもみませんでした。

気付かれなかった回復期

回復期では高次脳機能障害を疑われることもなくスルーされていました。
違和感を感じ訴えてはいましたが、
急性期で「高次脳機能障害の可能性はない」とされていたためか、回復期では最初から「ないもの」と思い込まれていた気がします。

しかし日常生活に戻ってみると違和感は障害となって私の前に立ちはだかりました。
「日常生活に支障はない」と言われて退院したのに支障だらけの毎日。
後にわかった高次脳機能障害、そして左手の麻痺。

どれも訴えてたいたことだっただけに、ちゃんと取り合ってもらえていたら何か違っていたのではとやり場のない憤りに苛まれることがあります。

看護師さんに訴えた時には
「何も言えずに亡くなった人もいるんですよ」
療法士さんには
「まあ死ぬような病気だったんですから」
ドクターには
「発症時に3割死ぬ病気ですからね」

医療現場ってどこもこんなものなのか。
それとも入院した病院の体質なのか。
たまたま当たった担当者がよくなかっただけなのか。

今更どうにもならないことはわかっています。
近所で通っている療法士さんには
「まあまあ、今できる最良のことをやりましょう」
そう言って日々慰めてもらっています。
でも、消化できない気持ちにお酒を飲むことも多くなってしまいました。

人によるのか?

回復期では「この人なら!」という方には出会えませんでした。
でも急性期病院で担当だった療法士さんはとても信頼できる方でした。

また退院後も別の病気で急性期の病院にお世話になっていますが、良い先生、そうでもない方バラバラです。

自費でお世話になっている近所の療法士さん、そしてブログでも度々書いているリハフィットさん、共にとても良い方に巡り会えたと思っています。

今回、高次脳機能障害でお世話になっている作業と言語の療法士さんはそれぞれといったところでしょうか。

作業の方はゆっくりと丁寧にお話をしてくれます。
私の訴えにも耳を傾けてくれ、検査中も常に気遣ってもらえている
印象を受けています。

一方の言語聴覚士さんは、検査中に隣の部屋の話し声が気になり混乱していたら、
「こちらの方に集中してください」と言われました。
それができるならばこの検査は受けていないのでは?
そんな風に思ってしまいました。

もしかしてこの病院で回復期を過ごしていたら、何か変わったのではないだろうか?
そんな風に思っていましたが、結局は施設ではなく人なのかなと思い始めています。

募る不信感

正直、色々ありすぎて医療不信になりつつあります。
くも膜下出血のフォローアップを受けなければいけない時期にきています。

でも、高次脳機能障害なのか?という症状を相談した時に
「くも膜下出血ですからそういうこともあるかもしれませんね。
でも馬鹿になったというわけではないんですよ。やれる範囲でやれることをやってください。まあ発症時に死ぬ人が3割の病気ですから」と言われました。

馬鹿になったというわけではないんですから。この言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?
この先生にこの先の自分を委ねていいのでしょうか?

以前と違うことは自分が嫌というほど1番わかっています。
それは後遺症であって馬鹿になったという訳ではないですよ。
そう言いたかったのかとは思います。

ただ、受け取った私は常に
「周りからは馬鹿になったと思われているのではないか?」
という不安に付き纏われています。

そして間が悪いことに、病気前から参加していたオンラインコミュニティの主催者からは
「前例がないことですし、不安に思うコミュニティメンバーがいるだろうと私も不安に思っています」と言われてしまいました。

明示された訳ではありませんが、退会を促されたのかなと思い自ら身を引くこととしました。

この先のこと

ブログに何度となく書いていることではありますが、ちょっとした一言で受け取る側の気持ちは大きく変わります。

常に意識して生活することは不可能だとはわかっています。
けれども例えば診察室に入った患者さんに、丁寧に傾聴する時間はなくとも言い方にちょっと気を使うことは可能なのではないでしょうか。

また、この人はなぜこんなことを訴えているのか。
バイアスを取り払って素直に患者さんの声に耳を傾けることができたら、後遺症が見過ごされてしまうことも減るのではないかなと思います。

私に何ができる訳ではありません。
けれどもこうして自分の考えをしたためることで誰かに少しでも届いてくれたらと思います。