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脳卒中患者だった理学療法士が伝えたい本当のこと        小林純也

 本屋さんを探し回って

高次脳機能障害かも?と思い担当医に尋ねたら、
「くも膜下出血なので可能性はあるでしょうね。まあやれる範囲でできることをやってください」
と言われて終わってしまいました。

なんでもいいから高次脳機能障害について知りたいと思い都内の本屋さんを探し回って見つけた中の一冊がこの本です。

できれば療法士さんに届いてほしい

あまり中身を確認することなく買った本でした。
「脳卒中患者だった理学療法士が伝えたい、本当のこと」
てっきり患者向けに書かれた本だと思ったのですが、どちらかというと療法士さん向けの本だったようです。

内容が難しいところもありましたが、脳卒中を体験された方ならではの想いを言語化してくれています。
私にとって有意義な本ではありますが、できれば多くの療法士さんに目を通していただきたいと思いました。

障害から強みへ

ボクサーを目指していた著者が夢を諦めて理学療法士を目指すまでの葛藤が詳細に書かれています。

“5年もの間、それを目標に生きてきた”
それが断たれたとき一体どういう気持ちだったのでしょうか。

完全でないとはいえ再びボクシングができるようになった。
第三者の目線で冷静に考えれば十分すぎる結果だと思う。“

動けるようになったことは
元の生活に戻れることではないんですよね。
著者の目標はあくまでもプロテストを受けプロボクサーになることだったのです。

私も第三者、医療者側の目線で言うと「日常生活に支障はない」なんですよね。
でも刺繍やボランティア活動はできずもといた日常には戻れず苦悩しています。

この方は障害を乗り越えているからこそ患者に1番近い治療者になれるのではないかという結論に達します。
「障害を経て得た経験を武器に」すること。
「障害ではなく強み」という考え方はすばらしいと思いました。

私は企業に勤めている方の傾聴の仕事をしていました。
始めたころ、企業での就業経験の少ない私で大丈夫だろうか?
と悩んでいいました。
するとある方が
経験がないことを強みにしたらいいじゃないですか?
知らないからこそ
「それはそんなに大変なんですね?」とフィルターをかけることなく聴けるのがみどりさんの強みですよ“

そうアドヴァイスしてくれました。

著者が障害を経て得た経験を強みにし、
私は経験がないことを強みに。
「何が強みになるか」ではなくて
「何を強みにできるか」なのだと思いました。

現在は傾聴の仕事もボランティアもストップしています。
これから先再開できるかもわかりません。
けれども病気で得た経験。
中でも目が見えなかった1ヶ月ちょっとの生活は強みにできるかもしれないと思いました。

障害受容について

通っていたクリニックの療法士さんに
「自分のところのリハビリに自費リハを加えたら麻痺が改善するかもしれない」
そう言われて自費リハに行くか悩み
回リハの担当者だった方に相談したときのことです。

自費リハ云々についての答えではなく返ってきたのは
「みどりさん、麻痺が改善するかもしれないって言われて
麻痺が良くなる、なんなら元に戻ると思ってるでしょ?
障害は障害としてちゃんと受け止めないとだめだよ」
という言葉でした。

この言葉に私はもがき苦しみました。
しばらくショックで食事もままならず泣きながら日々を過ごしていました。
現在でもこの言葉を思い出すと苦しくなります。
でもこの本に出会って少しほっとしたことがあります。

”私は障害受容は「咀嚼と反すうの結果」だと思っています。
とても噛みきれぬ思いをなんとか咀嚼し、無理やり飲み込む。
1回で消化しきれないから、何度でも吐き出す。
そんなことを繰り返し、なんとか折り合いをつけていくことで、ようやく輪郭がみえてくるもの。
それが、「障害受容」だと思うのです。けして他人から促され、
「そうですね。障害受容を目指します!」なんてものではないのです。“

「障害を障害として受け止めないと」
そう言われて受け止められていないことを咎められた気がしました。
そしてこんな言葉を投げかけられたまま放り出されどうして良いかわからなくなりました。

信頼していた療法士さんに
見捨てられたような気がして落ち込みました。
なぜそこまで思ってしまったのか。
自分でも良くわかりませんが、
とにかく今でも尾を引いている言葉です。

当事者会などでもみなさんが
「病気になってよかった。」
「障害を負った今の方がいい」
そんなことを口にされていました。

でも私には全く理解ができませんでした。
本当にそんな風に思っているのだろうか。そうでありたいと願い、自身に言い聞かせているだけでは?
そんな風に解釈していました。

人生において、自分の身体より大切なものを得られたこと。
このことは障害を受容するよりも、
よっぽど素晴らしいことであると思っています。”

この箇所を読んで皆さんの言われた
病気になってよかった、障害を負った今の方がいいその言葉の意味が少しわかった気がしました。

“いろいろな世界をみて体験することで、妄想にも似た病前の状態への完全回復の気持ちが徐々に中和されていきます。”

私はまだまだ咀嚼と反芻を繰り返している最中です。
もっともっといろんな体験をすること。
辛い体験と嬉しい体験を繰り返す中で、元に戻れることを諦め違う道を歩み始めることができた時障害を受容できるのかもしれない。

そんな日が来るまでまだまだ悩み苦しむのかなと思うと良い気分ではありません。
でも常に寄り添ってくれる家族と
手助けしてくれる療法士さんに支えられつつ頑張っていくしかないかなと思っています。

どのくらいの療法士さんが患者さんに「障害受容を」と言うのかはわかりませんが、この言葉は患者さんがある程度立ち直れるまで寄り添う覚悟をした上で慎重に発してほしいと思います。