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日記を読み返すこと

見つけた日記

もともと家事は好きな方だったのに退院後片付けが苦手になりました。
片付けること自体が億劫なこともありますが、何をどう片付けたらいいのかがわからない感じです。

でも散らかっていると気は散るし忘れ物も多くなり、悪循環でしかないので少しリビングの片付けをしました。

本やノートで棚や机の上がごちゃごちゃしていたので整理をしていたら回リハに入院していた時の日記がでてきました。
こういうものが出てくるとつい時を忘れて読んでしまうんですよね。
今日も片付けの手を止めて読んでしまいました。

病気になる前から色々書き留める方ではあったのですが、一度失った視力を取り戻してからは忘れないうちにとこまめに書き綴るようになっていました。

日記に書かれていたこと

読み進めるうちに“○月○日 手に違和感を感じる。足と同じだろうか?
Aさん(担当理学療法士)に伝えよう”と書いてありました。

そしてその数日後
“伝えたら「なんでもありの病気ですからね〜」と言われた。仕方ないのかな。” と。

そしてその数日後には
“月末で退院かもと。このまま退院して大丈夫だろうか?早く帰りたいけどもう少しいたほうがいいのかな?手も足もこのままでいいのかな?
退院したい気持ちとしたくない気持ちが交互に出てくる。“

 さらに月末に退院と決定したあとには、
”退院が不安と訴えたら
「みんな退院したいって言いながらいざ決まると退院するのが不安とかってなんなんっすかね〜」と言われた。もう何もいえない。“
と書いていました。


日記を読み返してみて

手の違和感、ちゃんと訴えていたんだな。
その頃ならまだ発症から3ヶ月くらいだからちゃんとリハビリしてたら麻痺も良くなったんじゃないだろうか?
また考えても仕方がないことがぐるぐる回り始めました。
そして退院が不安だと訴えたことに対してもこういう答えだったこと、
いつもこういう対応をされていたんだなと改めて思いました。

今の自費リハの先生だったらなんていうかな?
きっと「何が1番不安ですか?」とまず聴いてくれそうな気がしました。

心のうちを言語化すること

傾聴の仕事をしていて思ったのですが、「何が不安ですか?」と聞かれることによって原因を言語化できたりします。
漠然と抱えている不安が何であるかを他人に聞かれること話すことで自分に問いかけ、解決へと導けることがあります。

日記を書くことで自ら言語化できることもあるのですが、不安を抱えている時にはそこに行きつかないことが多いです。
だから、そういう問いかけをしてもらえること、してあげることはとても大切だと思います。

日記を読み返すこと

今回日記を読み返してみて改めて気持ちを言語化することの大切さを思いました。

けれども残念な対応をされていたことも思い出してしまいました。
そして思い出すと消化できていない思いがまたふつふつと出てきてしまうことにも気がつきました。

日記を読み返すことには良い意味もたくさんあるけれど、今の自分には過去を振り返ることはあまり良いことではないのかもしれない。
そう思って日記を閉じ、しまっておくことにしました。