見出し画像

チョコレートの思い出はいいもんだ

1923年、北野にゴンチャロフのお店ができたそうですがいつまでそこにあったのかは、記憶にありません。どのお店だったのか遠い記憶の中では、大丸近く、今のZARA辺りにあったように思います。大柄な金髪のおばさんがいてきっとオーナーの奥さんだったのでしょう。お店の中はカラフルなチョコレートがクリスマスみたいに並んでいました。

笑っているのかおこっているのかわからない不気味(失礼ですね)な笑顔で手招きします。

尻込みする私に母が行ってらっしゃいと背中を押すのでこわごわ行くと持ちきれないくらいたくさんのチョコレートを手に乗せてくれました。

緊張した顔で「ありがとう」と言うのが精いっぱいでしたが、しゃがんでウインクしてくれました。慌てて母のもとに走って戻ります。ロシア人の透き通るような白い手はディズニー映画の白雪姫みたい!と思ったほど不思議でした。

母はいつもそこでウイスキーボンボンをお土産に買いました。お酒の瓶の形をしたチョコレートの中にザラメの層があって中のお酒が染み出さないようにしているらしいです。なぜかうちの祖父や父が好きだったようです。

「これはおとなの食べるものだからね!」と念を押されるのです。私はウサギやイヌ、ゾウやライオンの形の立体的な(中は空洞)チョコレートを買ってもらうのですがどれにしようか迷ってなかなか決められず、母の我慢強さもなかなかのものでした。

ウイスキーボンボンを日本で初めて販売したお店だということはずいぶん後で知りました。

創業100年とは驚きです。

もちろんウイスキーボンボンは食べさせてもらえませんでしたが、甘くて濃厚なカカオとお酒の香りはおとなのと言うのがよくわかりました。

今でもラミーが好きなのはその名残かもしれません。

もう一つのお店モロゾフ。創業者のモロゾフさんは、ゴンチャロフさんと同じロシア出身で親友同士だったそうです。今では若い人の一大イベント バレンタインデーを広めた人です。

【神戸ではチョコレートはもちろんですが分厚いガラスのカップに入ったプリンは知らない人がいないくらい有名です。その容器は大阪の家庭にタコ焼き器が必ずあるのに匹敵するくらい各家庭に何個もあって、一輪挿し、ペン立て、もちろんコップとして普通に使われています。

あの阪神淡路大震災でも、粉々に割れた食器の中にひび割れもしないでカップは残りました。大したもんです。もちろんプリンが美味しいのは当然です!】

ケーキもイチゴのショートケーキではなくてザッハトルテを選ぶほど私の中でチョコレートは大切な存在です。和菓子が好きだと昨日書きましたがチョコレートは別物。チョコ大福が出た時は「待ってました!」と子供みたいに喜びました。

父は「頭にいいからチョコレートを食べなさい」というほど昔はちょっと信じられないことを言う人でしたが、最近証明されました!

同じようにココアも我が家には常備されていて、食パンにつけたり

温めたミルクで納豆みたいにぐるぐるスプーンでこねて熱い牛乳を注ぐと

いい香りとともにほーっとする飲み物になります。こちらは母のではなく父の思い出に繋がります。必ずバンホーテンの金色の缶。今でもスーパーに並んでいると嬉しくなります。本物はずーと存在してほしいものです。

お湯を注ぐだけでできるものもたくさん出回りましたが、「おいしくなあれ」どこかで聞いたフレーズですが、一手間かけることは良いことだ!と言えそうです。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?