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鍵は話すこと

可愛い真っ赤な扉を見つけました。
きっとお洒落な方が住んでいるんだろうなあと思いながら、信号を待っていると、いかついおじさんが出てこられました。ドアの周りの鉢植えの花に水やりをされているところを見ると住人か身近な知り合いなんでしょう。

こんな想像を超えたり、ギャップがあることに出くわすと、なんだか楽しくなります。

自分の中で、「きっと」とか「決まっている」というワードに取りつかれて勝手に決めてしまっていることが案外日常に散らばっています。

不良っぽかったいかつい学生がバスでお年寄りに席を譲ると「なんていい子!」となり、ヤンキーの若い子が挨拶してるとちょっとびっくりしたり…。

本当はそれって失礼なことです。そんな偏見で見ている大人たちの方がおかしいとなるのでしょう。

みんなそれぞれ小さな扉を持っていると聞いたことがあります。外からその人を判断していても違うことが多いのは、自分をすぐには見せないということ以上に他人がその人の色を勝手に決めてしまっているということでしょう。

知り合ってすぐに扉を開く人もいれば、なかなか鍵を掛けたままの場合もおあります。ウエルカムと開いたならどこまでお互いをさらけ出せるのか。

どんな色眼鏡でそれぞれが見るかによっても違ってくるのですから、みんなが誤解した世界で生きているということになるのかもしれません。

反対に全てがいいも悪いも見えてしまったならすぐに飽きてしまうのかもしれませんね。

勝手に信じていた人が期待を裏切っていたのに気が付いたり、自分の連れ合いや恋人が決して裏切らないと疑いすらしなくてもはたして何パーセントの答えが出るのでしょう。

知らないから平和でいれる。真実を突き止めることが果たしていいことなのか、謎めいた人が人を引き付けるということに繋がるのかもしれません。

あまりいい印象が無かった人が、話を聞いているうちにどんどん印象が変わってきて別れ際にはもい一度会いたいとなる場合があります。

仲良くなりたいと好意的に会ったとしても時間が経つうちにその気持ちが薄れていくこともあります。

その人の扉を開けるカギ、一つは「話してみる」ことかもしれません。

今日もいい日にしましょう!







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