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無知を知るっていいことだ

昨年の暮れ、電子書籍二冊目を出版しました。特別な知識もなく、専門的なことが書けない身であることはよーくわかっていますが、今までの経験と、知りたい好奇心からの雑学、それと昭和という時代が育ててくれた考え方を伝えたいと思いました。よく生きてきた証にと本を書く人がいますがそんなものかなあと漠然と思っていました。が、私もその年齢に到達したということでしょうか。つらつらと経験を踏まえて書いた一部です。

無知の罪
40歳以上の人の会話で「それ何?」「見たことも食べたこともないわ!」大阪ならそれで笑いを取れるかもしれません。料理をしないから、できないからレタスとキャベツはみんな菜っ葉。教えてもらってもその場でおしまいの人がいます。

知ろうとする気持ちは、大切な人に伝えたいとか、味わってほしいと思えることではないでしょうか?
 知ることは愛だと思います。

「無知は罪」とは諸説ありますがソクラテスの有名な言葉です。「知らない」というだけが罪になると思いませんが、「知らないでは許されない」ことも大人になるとあります。最低限の知識は大人の女性として必要とされます。教養とは学歴ではありません。役職でもありません。

若い時なら無知は可愛いとなります。初々しいとも。もし無知が罪ではなく、無知であることを取り繕う知ったかぶりや、知ろうとする姿勢がないこと、聞く耳を持たずにいることの方が罪だと思います。

その人が職場で、また家庭で何かを伝える立場になったなら相手は不幸です。あなたも誰かに教えてもらってここまで来たのですから。
無知な行動は判断を誤ります。でも知識だけでは役に立たない、知識と行動が伴って初めていろんなものが見えてくるということです。それは知恵となってあなたを助けます。

「無知を知る」という言葉を言ったのもソクラテス。
最初は誰しも何も分からない。自分が何を知らないのかということを知るところから始まります。それは「新しい道を発見した」ことです。まずはそこから。「私って何にも知らなかった」と認識することです。面倒くさいはおとなの女性には不要な行動です。知っているつもりでももっと知ろうとすればするほど知らないことが見えてきます。まだまだ家に引きこもる年代ではありません。もういい歳なのにと知らないことを恥や罪として萎縮する必要もありません。

例えばリンゴ一つとっても赤い、青い、そして黄色いのがあり、食感もすべて違います。津軽、ふじ、王林…。ひっくるめてリンゴですが、それぞれの味を体験していないと、一つのリンゴだけを食べてすっぱい、味気ない、となります。無知は損と言うことです。

知ることは得となることです。

難解なことではなく、何においても体験することであなたの視野は広がります。

しかし知っているだけでは片手落ちです。それを活用するまでは未知の領域かもしれません。

「汝自分自身を知れ」ということです。

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         今日もいい出会いがありますように!

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