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宝物

誰にでも大切にしている、大切に思っていることがあります。
孫が公園で一生懸命拾っていたドングリ。その時は彼女の一番大事な宝物でした。
嬉しそうに走って、いくつか小さな手から零れ落ちたのも気にもせず、まっしぐら、そっと手のひらにのせてくれました。

みんなそうでした。
私も山で、河原で、見つけた可愛い葉っぱやしろつめ草を大切に持って帰りました。着くころにはぐったりしていていましたが、それをお水を入れたちいさな瓶にさしてくれたのは、その時にいた家族です。「これで大丈夫!すぐに元気になるわ」最初のころは信じられませんでしたが、何度となくよみがえった姿は、私をますますあれも、これもと見せたい一心で、持って帰りるようになりました。

子供たちもドングリや、石?を大事そうにズボンやスカートのポケットに入れていましたっけ。洗濯の時ゴロゴロと出てきたときは一生懸命集めていたであろう姿が浮かんであとで返そうと思うのですが、すっかり忘れるのは、子供も私も同じです。

思い出の品を捨てられない人がいます。部屋いっぱいになって整理しようと張り切りますが、一つ手にしてはそれが語る昔話が出てきて、捨てられない。
洋服も、食器も大きなものでいえば、家も。
古くなって、維持するための大変な修理費用がかかっても、「お父さんの建てた家だから私の生きている間は!」となるのですが…。

果たしてご主人はそれを喜んでいるかどうかは分かりませんが、それが彼女の心の支えなら、あり!なのかもしれません。
私は残された人が、毎日笑って暮らしているのが一番の供養だと思っています。ものにこだわらないことはけっして大事にしない粗末に扱うことではなくて、
その人が生きることに必要であったり、心の支えになったり、励ましてくれた時に寄り添ってくれたことを忘れないことだと思っています。
形のあるものは永遠ではないけれど、心の中では永遠です。

たいせつなものは、凹んだ時には元気をくれて、これまで静かに応援してくれました。
心の引き出しに限界はありません。壊れることもないしどんなものもしまっておけます。不思議と物忘れがひどくなっても大切な思い出をいつでも引き出す能力は残っているようです。

日曜日の朝、ゆっくり起きてきた息子は頂いたハムでブランチのサンドイッチ作りに張り切っています。
 もうあのドングリのことはとっくに忘れているでしょうが、夢中になっているときの横顔に面影が残っています。

蝉はまだ静かに鳴いています。メダカの水槽の水面はゆれて元気に泳ぐ様子を部屋から見ることが出来ます。

少し背が伸びたオリーブの木を切りました。オリズルランは幾つも子株を付けて先の小さな白い花が風で揺れています。

今日もいい日にしましょう!



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