見出し画像

先祖を偲ぶ

もうすぐ春分の日
 お墓は遠くていけませんが、毎日の朝夕の読経は先祖との短い会話です。

どんなに忙しくても散歩から帰ってくると軽い朝食の後、15分はお経の時間です。何も特別なことではなく一日の出発前の「行ってきます!」

主人と「千の風になって」の歌詞が重なります。私が勝手にそう思っているだけかもしれませんがとても心にしみ込んできます。

主人にいつも見守られている気がするのは何か一つのことをクリアーできた時や体が不調の時、どうしようかと悩む時、どんな時も静かに聞いてくれているようです。

先祖を偲ぶ時、お墓に行くのも良いことですが、なにかの折に先祖が風になって来たと思うことがあります。ふっと同じようなことがあっなあと。

何十年ぶりに偶然会った人の事、「そうそう主人に話さないと!」とほんの一瞬思うことがありました。それはだいぶ少なくなりましたが最初の2,3年は何度も思いました。「あ~もういないんだった」あれからすでに30年近く…。

いなくなっても同じように朝が来て、私は仕事に出かけ、夜には先週観たドラマが流れています。不思議と言うかその時一緒にいて会話した内容もよく覚えているのにあっけなく次の週には手の届かないところに逝ってしまうはかなさは何とも切ないものでした。人の存在の重さと軽さ。

両親は寿命を全うしました。私に健康ならば最後の命の一滴も無駄にしないような生き方を示してくれました。

父はあと2年で90歳でしたが母の痴呆に付き合うことで生きる意欲を失くしていました。病院では自分の最後を静かに待つような過ごし方でした。
もともと物静かでしたが、神戸の話は少し嬉しそうに聞いていました。この街が好きなのは父親譲りです。どちらかと言うと山より海が好きでよく須磨の海岸に釣りのお供で行きました。先に父と私が出かけてお昼前に母が手作りのお弁当を持ってくるというパターンです。

母は、父が亡くなってからは痴呆が進みお互い辛い時期がありましたが、それも母の人生。迷いながらも最後まで頑張ったのだと思います。何よりも父のことが好きで、一生をささげたという言葉がぴったりな生き方でした。
絵が好きで大丸の展示会にはよく連れて行ってくれましたが、正直あまり楽しくはありませんでした。屋上の乗り物のほうがいいといつも我慢して鑑賞していたような…。でも確かに絵画好きは母親から受け継ぎました。

義父は交通事故で入院してからは、どんどん老化が進んであんなに丈夫なことを自慢していた人とは思えないくらい衰弱しました。自分の息子の方が早く逝ってしまったことは知らずじまいで、自慢の息子を毎日待っていました。義父とはいろんな話をしてたくさん商売のイロハを只々聞いていただけでしたが、後になって役立つ日が来るとはその時は夢にも思いませんでした。あんなことになるのが分かっていたならもっと真剣に聞いておけばよかった…。

義母はもともと体が弱く子供も授からないと言われていたそうですが姉と主人にたいそう愛情を注いでいました。特に息子は特別で結婚後はいろいろ嫁姑問題が起こりましたが、子供に注ぐ愛情の深さからだったからだと思います。たった2年の同居生活でしたが、私たちの子供の顔を見ることなく逝きました。とても家族に大切にされて幸せな一生だったと思います。

 たまに息子が言うことやしぐさが主人に似ている時があります。今年は主人と並ぶ年齢になります。皆に「気を付けて!」なんて言われるそうでちょっと緊張⁈とふざけていました。

娘の子供を叱る様子は私によく似ています。孫たちは両方の先祖からどんなことを託されているんだろうと、小春日和の公園で三人仲良くアイスクリームをほうばる写真を見て思いました。

娘の「何にもない平和な日曜日!」と写真に添えられた一言がおかしくて、母となってそれが早くもわかる幸せな日を送っていることはご先祖に感謝しなくてはと思っています。もちろん娘婿にも!「ありがとう」しかありません。

 今朝は花冷えなのかまだまだ残り冷えなのか寒いです。でも公園の新芽は確かに春の訪れを知らせてくれています。
今日もいい日にしましょう!



この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?