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ジェットコースター人生 その5

新婚生活は大阪商人のしゅうとと船場のいとはんだったしゅうとめとの4人でスタートしました。                                                    同じ関西と言っても大阪と神戸は全く違います。よく大阪、京都、神戸の違いを面白おかしく取り上げている番組がありますが、内容はほぼ事実です。

大阪はラテン系でお祭り騒ぎのようにイベントを大切にします。母は病弱なこともあり、家族ははれ物に触るようにご機嫌を取り、昔のお嬢様の言うことはほぼ受け入れました。そんな中に、特に大事に育てた息子の嫁は可愛いわけがなく、俗にいう嫁いびりもありました。きっと息子を取られたような寂しさがあったのでしょう。なかなか孫を見せることができず、初めてプレッシャーというものを感じました。

その母は結婚して二年後に亡くなり、大人だけの三人暮らしになりました。

主人は商売を継がず商社マンとしてそろそろ海外赴任の話が出始めた

ある日「会社を辞めて、何か商売がしたい」と言い出しました。ゆくゆくは

海外で暮らせるものと思っていた私にとっては「どうしてー」という言葉しか浮かびませんでした。

縁あって結婚したのだから、、この人についていくしかない。「何がしたいの?」「今から考える」この言葉に不安はありましたが、どこかで楽しもうという気持ちも顔を出していました。「一緒にやってみよう!」

「何とかなるさ」はそのころから私の口癖になりました。



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