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どうする依存症対策②

私が依存症研修会で学んだこと
★久里浜にて
*1976年、今から半世紀近く前、私は、三浦半島の先っぽの久里浜の海岸を一人の中年男性と歩いていた。今も続いているアルコール依存症研修会の第1回目にどういうわけか私は参加していた。当時、アルコール依存症の治療援助に関心、興味があったわけでもないし、志なるものなどカケラもなかった。とにかくその私とは研修会プログラムの「行軍」に参加している29歳の私だ。「この行軍は堀内(なだいなだ)先生が戦時中在学しておられた陸軍幼年学校の体験から始められたんです。コースが幾つもあるんですよ。だから、病棟移動がある病棟スタッフはそんなコースを一々覚えていません。だから、私たち退院患者が道案内で出かけてくるんです。
そうすることで入院中の生活を思い出して、初心に戻るっていうのか、おかげで断酒が続けられているんです」と中年の男性、穏やかな語りロに何だか都会の雰囲気を感じた。きっと東京都心に住んでいて、こうして月一回の行軍のためにわざわざ久里浜までと・・・勝手に思い巡らず私を今もよく憶えている。それまで出会ったアル中(アルコール依存症)者とはとにかく荒んだ人ばかり、こんなに気さくに話しかけてくる人はいなかった。やはり天下の久里浜には選ばれた患者さんばかりだ~と。それからいろんな依存症者に会ってきた。色んな人に・・・。あの久里浜海岸を一緒に歩いた語り部がその後の私に影響を与えてくれたのは間違いない。

*研修最終日に、当時の国立療養所久里浜病院の河野裕明副院長及び病棟スタッフと、退院して街で暮らしながら回復をはかっている患者OB(その多くは地域の自助グループである断酒会会員。当時は男性のみ)との懇談会が行われた。その集いにはもちろん私たち研修生も参加した。懇談会の中ほどで一人の患者OBが微笑みながら語った。「私は3年もやめたので、ぼちぼち酒を飲もうかと思っています」と。私はその頃、1年以上アルコールを断ち続け、治療につながっている患者を知らなかった。内心では“おいおいせっかく3年もやめているのにそんなこと考えて、それを治療者の前で口にしてもいいのかい?”と思いながら、河野先生の反応をうかがおうと、彼のほうへ視線を移した。河野先生も笑顔で、ただ黙ってニコニコされているだけ、別に何の指導、助言もなかった。“えーっ!これでいいのか”と驚いたが、この瞬間、私もやりたくなった。

結び
私が研修会で学んだこと「知識」より「知恵」、「説得」より「納得」、「目的」より「自由」、「習う」より「慣れろ」だよ

そして、それが今も!西脇病院の依存症対策

西脇病院における治療プログラム
西脇病院における治療プログラム 西脇病院における自助グループへの場の提供等

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