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これまでの精神科医療制度の流れと今

日精神協誌7月号特集「若きリーダーたちは何を目指しているのか?」で、若き院長が、今後20年先には統合失調症と認知症の長期在院者は減少し、気分障害圏の長期入院が2倍強に増える、と述べておられた。同感である。では今、その気分障害圏内の患者はどうしているのだろうか?統合失調症者のように若くして発症、そしてその多くが長期在院に至った不運な経緯とは異なる。かと言って、認知症のように老いて発病し、そこで精神科病院への入院受入となるわけでもない。むしろ、現在は全く問題なく社会活動に深く関与し、普通の日常生活を営んでいる人たち、あるいは発症はしているものの、否認と病の狭間で苦しみつつ、そんな社会的(長期)入院の扉を開こうとしている人々。かつ、発症しながらも運よく、そう現状では運よく回復の術を見出し社会活動に再び参入できている人、と大きく分けることができそうだ。いわゆる1次予防、2次予防、3次予防の概念が気分障害園の精神科医療では本気で必要なのだ。「運よく」では困る。
また彼(若き院長)は、長期入院患者は政策誘導をせずとも自然に減る、とも語っておられた。おっしゃる通り、前述のとおり、我々昭和の精神科医が消えるのとほぼ時を同じくして、長期入院患者も自然減をする。これから多死の時代に入るからだ。
国の行政府も何時までも「少子・高齢化」ではなく、「少子・多死」に備えるべきだ、と私はずい分前から訴えてきたつもりだが・・・まぁいいだろう!
しかしやっと、厚生労働省は2017年になって統合失調症中心からの脱却の姿勢をみせ始めた。『第7次医療計画における精神疾患の医療体制』の中で「多様な精神疾患等に対応できる医療連携体制の構築」を打ち出した。ただ、中身がよくない。各医療機関の役割分担、連携ですか?そのために実施している研修会、そこではマニュアル化した技法はほぼほぼ現場では役に立ちません。連携、連携とおっしゃるなら、せめて全国一元化のネットインフラの整備を早々にお願いしたい。

そこでまず、これまでの精神科医療制度の変革の検証を行ってみたい。1950年の精神衛生法の成立から現在までを三つの時代に分けてみた。1950年 精神衛生法成立、その後の精神病院ブーム。そして、1964年 ライシャワー事件(緊急措置入院・精神衛生センター設置)。1969年、精神障害者の処遇で紛糾した精神神経金沢学会。ここまでを第一期時代としよう。いわゆる統合失調症中心の処遇のあり方が議論された時期だ。そして、1970年 ルポ精神病棟(朝日新聞)。1983年に宇都宮病院事件がおき、それを契機に1987年、大幅な法改正が行われ3本柱(任意入院・精神保健指定医・精神医療審査会)が生まれた。これは何れも精神科医療施設の不備、不祥事が告発、事件化されたことが契機となっている。しかし、ルポ精神病棟は記者が当時アル中と称して潜入している。宇都宮病院事件においても、そこで入院処遇のかなりの患者は人格障害、中毒患者であったようだ。これらの事件、告発で精神科病院の処遇改善を図る動きはみられた。だが当時から処遇対象患者の裾野の広がりにも関心を寄せるべきではなかったか。この期間を第二期時代とする。そして、2001年 付属池田小学校事件。その後、医療観察法・精神科救急医療制度が設けられた。さらに、2016年相模原殺傷事件で措置入院退院後ケアが検討されるが、もちろんこれは廃案となる。これら何れも、措置入院歴があるものの事件後、司法化され死刑、ないしは死刑確定なっている。この期間を第三期時代としたいが、ここにきて処遇患者の対象が際限なく拡大しているにも係わらずそれを十分に検証されることなく今日に至っている。よって、この第三期は継続中であるといいたい【資料3】【資料4】。では何故、未だ継続中なのか過去を振りかえってみたい。
1987年、宇都宮病院事件を受けて、それまでの精神衛生法が改正され、任意入院・精神保健指定医・精神医療審査会を制度改革とする精神保健法が成立した(「精神科医療における自明性の検証」・精神科治療学,星和書店,2019.8平田豊明)。だが、その要となるはずの任意入院制度はその後残念ながら、その大きな役割としては、それまでの長期在院患者への社会的入院としての保証を取り付けることに留まった(図1)。

【図1-1】
【図1-2】

2001年付属池田小学校事件がおきる。加害者は措置入院歴があったが逮捕後、司法で裁かれ死刑となる。だが、何故かその後、統合失調症急性期症状の対処を意識した精神科救急制度(精神科救急病棟)等が誕生。結果、ここで医療の基本であるはずの説明の上の同意」、つまり任意契約の技法が、精神科医療の下では軽視され、関心が著しく薄れた。そして、行動制限、隔離、拘束を認める医療保護入院よる入院処遇が増加する結果となった(図2)。

【図2-1】
【図2-2】

そして、2014年7月16日佐世保高1同級生殺人事件が発生した。実はその事件発生の約1ヶ月半前、一人の精神科医(精神保健指定医)から、「自分が担当する少女が殺人をおこす恐れがある」と行政の担当部署に約2時間にわたって電話で相談を行っている。その少女とは7月16日の同級生殺人事件の加害者であった。その精神保健指定医は、精神科医療(精神保健福祉法)の範疇では対応困難と判断、行政に対してその少女のために要保護児童対策地域協議会の開催を要請。しかし、この精神保健指定医の通報を行政当局は無視した。これまた、ここで3本柱の一つである精神保健指定医の権限が軽んじられた、いや否定されたのである【資料4】。【要保護児童対策地域協議会:虐待や非行などさまざまな問題を抱えた児童の早期発見と適切な保護を目的として、市町村などの地方公共団体が児童福祉法に基づいて設置する協議会←デジタル大辞泉より】。
その丁度2年後の2016年7月16日、今度は相模原障害者施設殺傷事件がおきている。犯人が犯行直前に大麻精神病等での措置入院歴がある。当時、その診断を妥当とした精神医療審査会もだが、この事件後設置された「検証及び再発予防策検討チーム」(構成員には複数の精神保健指定医も・・・)の「中間とりまとめ」によると、「ダウナー系の大麻使用による脱抑制状態が措置入院の適応である」としている。では、成分の上で多少の違いはあるが同じダウナー系のアルコール使用障害よる飲酒運転検挙者は、全て措置入院になるではないか。お分かりいただけただろうかここ数十年間、精神科医療業界は思考停止状態にあることを・・・。疾病構造が変化する中で、様々な悲劇がおきたにも係わらず、「精神科救急制度、地域移行」にしがみ付いている精神科医療に終止符を、そうでもしないと何がおきてもおかしくない。これだけ説明すれば、3本柱(任意入院・精神保健指定医・精神医療審査会)が形骸化しているのはお分かりいただけるはずだ。それに手を付けずして、大阪の精神科クリニック放火事件はおこるべきしておきた悲劇である。

【資料3】日本の精神科病床は何故、未だ30万床のままなのか?

日本精神科病院協会雑誌2021年6月号掲載

【資料4】制度疲労を起こしている精神保健福祉法

当ブログ記事 2021年4月8日掲載

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