見出し画像

あまり書かない類のお話

 羽田から伊丹に向かう最終の日本航空1529便は、定刻通りにその洗練された機体を震わせ、ターミナルからその身を離した。誘導路をタクシーングし終え、東京湾に面したC滑走路の端に足を止め、管制官からの指示を待っている。

 私はシートベルトを確認し、窓の外に目線を投げた。何もなく、ただひたすらに闇色の海面の向こうに、頼りない光がちらちらと瞬いている。夏の終わりの鬼火のように見えて、そこから何となく目を逸らす。

エンジンの回転数が上がるにつれ、腹の底に振動が伝わってくる。この瞬間を私はあまり好きではなかった。ありえないほどの重量を持つ金属の塊を無理やりに虚空へ投げ上げる力が、地上を這い回ることしか出来ない存在である自分に、不自然な強制力をもたらすようで苦痛なのである。

 いや、そんな生物を高度一万メートルに運ぶのだから、そのことについて本能的な警戒感を持つとしても責められはすまい。旅慣れた風に、そも羽田と伊丹の移動など旅とも思っていなさそうな、自分と同じ色合いのスーツを着た連中だって、突然轟音を上げて走り出すボーイング777に恐怖を覚えていないとは誰が言い切れようか。

 ほら。横目で見た同じ列の数人が、急加速に合わせた様に大きく息を吸い込んだではないか。私は彼らと同じような緊張感を横隔膜の下あたりで押さえ込みながら、安堵のため息を漏らす。自分が誰かと同じであると実感できる瞬間。そしてその瞬間、ワイシャツの胸ポケットに放り込んであった携帯がけたたましい音を立てて鳴った。

 いくつかの目線がなじるように私のほうを向き、そのうちいくつかの視線はすぐに私から外された。この場にふさわしくないタイミングであることは百も承知である。飛行機はまさに離陸の時を迎えている。体全体を押し付けるような力が加わる中で、胸に手をやって音を止め、何事もなかったように頭をヘッドレストに付け、仕事に疲れて脂じみた顔を両手のひらでこする。

 体が大地から離れていく。このままエンジンが止まったら、と楽しくない空想も毎度のこと。旋回しつつ上昇する窓の下で、東京のむやみに明るい夜景が遠ざかっていった。

 機体の前の方で席が取れたのは幸いだった。主翼の付け根あたりで外を見るつまらなさといったらない。いつ見ても同じものしか見えないことほどつまらないことはない。もっとも、夜なら外を見ても大したものが見えるわけではないのだが、それでも翼が見えない、ということが私には大事なのだ。

 上昇を続ける機体にはいつも得体の知れない不安を掻き立てられる。地上から離れれば離れるほど、妙な息苦しさが脊髄の下のほうに凝集して私を不愉快にさせるのだ。

 また携帯の着信音が鳴る。今度はメール。そんな判断をしつつ、すぐにポケットに手を伸ばす。と書けばいかにも行動の素早い男のしぐさに見えるが、実のところ先ほど音が鳴ったところで慌ててしまい、マナーモードにしていなかっただけの話である。

 再び自分に向けられた、先ほどよりも険のある視線の束に気づかないように携帯の音を切り、マナーモードにする前にそのメールの発信者を確かめた。思わず顔をしかめた私はそのまま携帯を胸ポケットにしまって舌打ちを一つ。メールの内容は確認する気になれなかった。

 いつの間にか機内の大型ディスプレーには今日のニュースが流れ始め、シートベルト着用のサインが消えている。私は意外と長い時間、携帯の画面を眺めていたようだ。そんな自分に少々うんざりしながら私は再び窓の外を見た時には、もう暗黒の空間しか見えない。

「当機は予定通り二十時三十分に……空港に着陸いたします。なお……レーダーによりますと、途中乱気流が……しているとの情報もございます。ベルト着用のサインが出ていない場合でも、乗客の……はシートベルトを……」

 聞き取りづらいコクピットからのアナウンス。私は高度七千メートル以上で巡航している機内の中で、もう一度携帯電話を開いてみた。今さら携帯の電波が飛行機を落とすとは航空会社も言わないが、エコノミークラスの狭い空間ではけたたましい音は嫌われる。隣に座った自分と同じくらい無個性なスーツを着た男がちらりと一瞥してすぐにスポーツ紙に視線をもどした。ご心配なく。もう音は出ませんよ、と心の中で断って画面を覗くと着信が一件、そしてメールが一件。と表示されている。そのどちらも、発信元は同じ人物。

(今さら何だっていうんだ)

 嫌悪感が湧き上がる。

恋人でもない。妻でもない。私はその発信元の女の下腹部についた妊娠線と、その線にそぐわない幼い香りの香水を頭に思い浮かべた。その女と会うのはいつも鶯谷辺りにある古びたラブホテル。本当に狙っている女を連れて行くような、しゃれた場所には決して連れて行かなかった。

「会ってくれるだけで嬉しいの」

 ふと耳元にその生暖かい息遣いを思い出して私は鳥肌を立てる。三十過ぎの独り身男と、四十過ぎの家庭持ち女が体を合わせるなど、どこまでもありきたりで、いやになるほど美しくない。美しくないとわかっているから、それにふさわしい舞台を用意してやっているというのに、女は自分だけの美しい劇を演じようとする。

 体の硬い女だった。

 決まった姿勢しか取れない女に、心の中で悪態をつきながら、私は体を合わせている時だけ優しい言葉をささやいていた。何の愛情も持っていないくせに、きれいだかわいいキモチイイと。

「あなたに抱かれることがわたしの幸せ……」

 私が何か言うたびに、衰えかけた硬い肉体をくねらせて女は応えた。ゆるいウェーブのかかったセミロングの髪は、美しいと言うことも出来たが、実際毛穴まで見える距離まで近づけば、白髪染めで覆われた老いが見てとれた。

 がくん、と機体が下に落ち、そして持ち直す。エアポケットにもで入ったのか、睾丸が胴に引き込まれるような異様な感覚に襲われた。機内は一瞬ざわめき、そのざわめきをなだめるようにフライトアテンダントが座席の間を巡る。

 いやな汗が染み出た背中を座席から離し、私は一つ深い息をついた。つまらない女のことなんて思い出していたからだ。と恐怖を頭の中でしなを作っている人妻にぶつける。

「乗客の皆様に置かれましては座席にお付きの際……」

 これ以上の乱気流は進路上にないこと。しかし念のため立ち上がるときには充分注意することを抑揚のない、しかし幾許かの安心感を与える声で機長が先ほどより明瞭な声でアナウンスしている。その安心感が再びメールの発信者についての回想を引き出していった。

 そもきっかけは何だったのか。

会社に事務員としてパートに来ている年上の女性、くらいの意識しか持っていなかったはずだ。事務員の制服はひざ丈のスカートにベストといかにもな一張羅であったが、なぜかブラウスだけは安っぽい薄桃色で、随分妙な趣味だと思ったものだ。

巨大商社の資本が入ってはいるものの、それほど伸びもせず縮みもしない海産物の加工食品を作る機械の製造元。むやみに忙しいこともあるが、基本的に華のない二部上場の会社である。

何人もいる事務の女性のうちで、それまでの遍歴から考えてもかなり上に年が外れている彼女がこちらに秋波を送っていると気づいた時には、薄暗い照明で女がきれいに見えるその手の建造物に二人で足を踏み入れていた。

 二人目の娘を産み落としてから既に十年経つ肉体は、それまでせいぜい同じ年齢までの女しか抱いたことのない私にとってある意味新鮮であったのかもしれない。過剰なまでに装飾的なビスチェ姿になったとたん、会社での物静かな姿を捨てて挑みかかってきた女の欲は尽きることがなかった。

「当機はこれより着陸態勢に入ります」

 羽田から大阪という短い距離で、飛行機が高空を巡航している時間はわずかである。上昇しきったと思ったらすぐに高度を下げ始める。若い頃はそんな無駄なことせずに低いところを飛べば良いのに、などと阿呆なことを考えていたものだ。

 機体は大きく、しかし乗客にストレスを与えない角度でバンクし、右旋回している。窓から地上の明かりが目に入って私はほっとした。そこまで降りれば、大地と自分がつながる。気の重い人間からの着信についても、もう少し落ち着いて考えられるだろう。

 開いたままで持っていた二つ折りの携帯電話を胸ポケットにしまい、ボタンを押して電源を切り、とりあえず回想を止める。頭の中にしつこく残っていたしなびた女の裸体と飢えた獣のような息遣いも振り払った。

 ゴムとコンクリートのこすれあう音がして、数秒もしないうちに逆噴射の音が響き渡る。飛行機は無事に着陸を終えたのだ。真っ暗な夜の空から降りてきた身に、ターミナルの光が暖かく見える。気の早い男達が、アナウンスが止まるまでの着席を促しているにもかかわらず、頭上のトランクを開けて荷物を取り出し、降りる準備に余念がない。

 やがて機体が動きを完全に止め、訓練された笑顔と口調の乗務員に見送られて乗客たちは機外に出る。伊丹の空気はいつも通りどこかどんよりと湿って重く、東京とはまた違った街に来たことを実感させてくれるのだ。

「あの、お客様」

 肩を軽く叩かれ振り向くと、先ほど機械的に心のこもった笑顔で乗客に送り出していた女性が、やはり無機的な笑顔を浮かべて小さな無機物をこちらに差し出していた。胸ポケットに入れたはずの携帯を彼女が持っていることに、私は妙なシュールさを感じて笑いそうになる。

 彼女は半分笑いながら礼を言う三十男の照れ隠しをプロらしいマナーで受け止め、その職場へと帰っていく。私は再び前を向き、何気なくその小さな筐体を開き、電源を入れた。

 新着メール三件。

 着信の表示は機内で確認したから消えている。メールはまだ読んでいないから新着扱いのまま。つまり先ほど胸ポケットに携帯を入れてから二件のメールが来たことになる。時間は二十時四十分。仕事がらみでもおかしくない。

「またかよ……」

 発信元を見てまた舌打ちする。

 そしてその舌打ちがスイッチであるかのように、別れを切り出したときのことが頭の中によみがえってくる。いや、別れという範疇にすら入らないと私は思っていた。別れというのは出会いの対義語であり。男女の出会いとは、そこに何がしかの心のつながりがあってこそだ。だからただ互いの肉欲を満たすために、くすんだホテルの一室で獣の咆哮をあげているだけの関係にそんな美しい句読点を打ちたくはなかった。

「私がおばさんだから?」

 そこでそうだと答えるほど私も幼くない。私はなんと答えたのだろうか。そうだ。実にこずるい理屈を立てた。確か、もうお互いに社会人として自覚を持ってどうのこうの、などと述べ立てて、その関係を終わらせることに同意させたのだった。

 いや、ずるくなんかない。正論だ。相手には連れ添って長い夫も、もう高校生になる娘もいる。こんな関係が永遠に続くわけがないのだから、どちらかが終わらせることこそ優しさだ。最終的に感謝されこそすれ、恨まれることはないはずであった。

 女は条件闘争に入った。会う回数を減らしてもいいから、続けて欲しい。電話やメールだけでも駄目だろうか。食事だけなら? 私はその全てを峻拒した。どのような関係も終わり際が大事だ。私は穏やかな口調を守りつつ、全てを拒みきった。

「わかったわ」

 ぐったりとした女は、しかしそれでもいつかはこうなることを予想していたのであろう。薄暗い光の中では美しく見える横顔を見せながら、彼女は最後にもう一度体を合わせる事を望んだ。

 私は油断していたのかもしれない。粘着質の強そうな女があっさりと終結を納得したことで精神が昂揚していたのだろう。普段は見せない激しさを見せてサービスに努めたものだ。もう子供を作ることはない、という子宮に何度も精を注ぎ込み、手切れ賃とした。

 その結果がこのメールだ。

『あなたへの贈り物です』

 一件目のタイトルにはそう記されてある。よくあることだ。私も女にふられたとき、何とか気を惹こうとしたことがあった。なんでもないことでメールしてみたり、用もないのに着信を残してみたり。五、六年昔の青い思い出だが、後でひどく恥ずかしい思いをしたものだ。一件目のタイトルを見ても、伊丹空港北ターミナルから梅田へ向かうバスの乗り場へ進む私の足は止まらない。

 予想くらいつく。どの道このあと二件のメールではなんとかよりを戻そうとする文言がぐだぐだと書き連ねてあるのだろう。私は足を止めないまま、二通目のメールを開いた。画像が添付してあるらしく時間がかかっている。読み込み中、の表示が消えて映し出されたその画像は、ターミナルを出て空港リムジンバスの停留所下の照明ではいまひとつ鮮明に見えなかった。

 もともと、私はその女と写真に写るということは極力避けていた。何を勘違いしているのか、しきりとプリクラの類を一緒に撮りたがり、また私の携帯にも自分の画像を残させようとしていたが、許すわけもない。こっそり私の顔を撮ろうとした時には、終わりを匂わせて止めさせた。

 そんな女が送ってきた画像はモノクロ写真にモザイクをがかけたように、主題がはっきりしなかった。それでも得体の知れない気味の悪さを感じて足を止めて覗き込む。電波干渉のあるテレビ画面。しかも放送が終わった後の砂嵐を歪めたような画像は何を表しているのか私には皆目見当がつかない。

 何が写っているのかよくわからないのに、奇妙に目を逸らすことを許さない何かをその画像は持っていた。言うなれば語りかけてくる何か。まさか自分が女に未練を持っているわけもない。磨り減った好奇心を満足させるだけの意味不明なものを、自分以上に磨り減っているはずの中年女が送りつけてきたことに興味を覚えたのかもしれない。

 それにしても何なのだろう。画像はぼんやりとしていて暗い。暗いのだが全体的に白いノイズがかかっておりそのノイズの中に空洞がある。ハート型をしているが、およそその形状が持つ幸せな意味を、この空洞は表していないように思われた。そして空洞に中には、疣のような小さな突起がついている。

 何を写し、何を意図しているのか全くわからない。なのにいやに生臭いもの。腐った魚でも顔に押し付けられているように気分が悪くなり、私はあわてて口の中に広がった酸味を飲み下した。

 メールはもう一件ある。

 おそらくそこにこの不鮮明な画像の正体が記されているのであろう。切り捨てられた女の恨みを込めた呪いの画像か、はたまた自分の笑顔のデータがなんらかの理由でおかしなことになっているのか。どちらでも良いとは思いつつ、それでも次のメールを開こうとする。

 どん、と誰かが背中にぶつかって去る。鼠のようにくたびれたスーツの背中が、何を急いでいるのか小走りに遠ざかって行った。シルバーに塗装された二つ折りの携帯が伊丹空港の出口に屯する、自分と同じような格好をした男達の足の間を滑っていく。全員がその滑っていく小さな通信機器を見ていた。声もなく、感情も出さず。

 もし自分が逆の立場なら、そうしただろう。携帯が落ちて転がったところで、誰かが傷つくわけでもなく、何かが変わるわけでもなく。かかわりを持つことで良い事が起こるとも思えなければそのまま放っておけばよい。

 微かに足を動かして拾いに行く私のために道を空けてくれる者もいる。しかしほとんどは、特に私の動きに注意を払うこともせず、自分の携帯に目を落としているかタバコをふかしているか、そうでなければただ中空になんとなく視線を漂わせているだけ。

 そんな中を感情を消した顔で通り抜け、故障でもしてなければよいが、と拾い上げる。三通目のメールが開いており、無題とそっけなく書かれたタイトルの下に長い本文が記されてあった。

『私達の子供です。妊娠二ヶ月の時の写真。かわいいでしょ? 名前は……』

 そこまで読んでぱたり、と携帯を閉じる。

 うそだ。

 この女はうそをついている。もう子供を作ることが出来るほど若くはないわ。と女は笑っていた。それでも私は普段用心を怠らなかった。もちろん、そうしない時もあったが子供が出来るなんてありえない。第一、私の子供かどうかなんて誰も証明できないではないか。


 頭の中を自己防衛の論理が埋め尽くす。この場合悪いのは誰だ。私は悪くない。相手の家庭に迷惑がかからないように気を配ってきたはずだし、対策をとらなかったのも女がそんなことしなくても大丈夫だとはっきり言ったからだ。旦那とだって夜の営みはあるだろう。女の夫の年齢ははっきりと聞いたわけではないが、子種が底を尽いているわけではあるまい。

 自分を守るだけ守ってもう一度開く。画像の正体についてと、そして画像に写っているらしい生命は既に絶たれていることが淡々と記してあった。私に対する呪詛も罵倒もなかったが、ただこの画像は持っていて欲しい、と書いてあった。

 何が写っているのかよくわからない画像を再び見る。確かに画面中央に写っている物体は、学生の時に保健の教科書か何かで見た胎児の写真に見えないこともない。だからなんだ。これは女の妄想の産物で、私へのあてつけだ。こんな画像、ネットで検索すればきっと山盛りになって画面に表示されるに違いない。

 不意に、耳元に吹きかけられた女の生暖かい吐息がよみがえる。冷や汗に濡れた肌が女の熱く、しかし張りのない肌の感触を思い出させる。下半身の、男を主張する部分を容赦なくくわえ込み、命の源を吸い込んだその部分が私の体全体を喰らっていく。

「やめろ!」

 私は思わず叫び、手に持っていた携帯を逆にへし折った。ぼきり、とやけに湿った音がして、筐体はありえない方向に捻じ曲がる。

「俺のせいじゃない……」

 壊したはずの携帯に、執拗に残る画像。ぼんやりとした、進化の過程にあるようなその物体がまるで意思を持つように私を見た。確かに見た。重金属のせいで奇形になった小魚。痛みを知らず、痛みを知る前に世から消えた赤子はまっすぐに私を見ている。

「ち、違うんだ!」

 喚きながら折れた携帯を踏みつけている私を、周囲の男達が見てはいけないものを見たような表情で眺めている。それは私も同じだ。見てはいけないもの、見る必要のないものを見せられて、こうすることで消すことが出来ないではないか。

 ねっとりとした胎盤と血液。流れ出す中に私が放った命の種がある。いびつにゆがんで、そしてひび割れて。それは愛も情もない交接がもたらした寄る辺なき種。

私はその場でこらえきれず戻した。昼食から時間が経って、戻したものの中に何が含まれているかすら判然としない。それでも臓器を全て吐き出すような勢いで、私は吐瀉し続けた。

 違うんだ。だってしょうがないだろ。

 吐き出したものの中に蠢く物。私のほうに近づいてくる小さな何か。

踏む。踏みつける。踏みにじる。踏み倒す。ありふれたリーガルが饐えた匂いをまとうことなど気にせず、ただ私はその物体を踏み続ける。踏めば踏むほど腐臭は嗅覚にこびりつき、吐き気は止まらない。

また誰かが近づいてくる。衰えた肌に幼い香水の香りをまとって。私は拒む。嫌う。切り捨てる。かつては夫やそれ以外の男達を魅了したかもしれないその四肢はしなび、高価な下着で覆うことでなんとか年下の男を欲情させてきたその肉体。

 そんな女は知らない。向こうが求めたからちょっと相手してやっただけの関係だ。

「全部おまえのせいだろ!」

 家事と子育てに荒れた手のひらがざらりと頬をなでていく。私はただ狂ったように、足もとにすがり付いてくる小さな肉塊と、女の幻影を消し去ろうと手足を振り回していた。既に周りの男達。もしかしたら同じような過去と現在を抱えているかも知れない男達の視線も気にならなかった。

喚き、震え、四つんばいになった私の視界の隅で、粉々に砕いたはずの携帯電話が光っていた。新着メールの到来を告げながら。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?