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乗り過ごし

仕事、働くとは?

仕事、働く、について考えたとき、最初に浮かぶのは父だ。我が家はボクが病弱な事もあり、母は専業主婦になった。(赤ペン先生はやっていた)
小学生の頃は、仕事から帰る父を待ちながら母から「大洋が勝ったらお父さんも喜ぶよ♪」と言われ、なぜか大洋ホエールズを応援していた。殆ど負けるから、勝ったときの喜びはひと塩だった。
そして何故か分からないがボクが横浜スタジアムに行った時の勝率は高かった。ボクが毎日行けば優勝するんじゃないか…と勘違いするほどホエールズは強くなかった。
結果的にマリン君の文房具やら、Wの白抜きのベースボールキャップを使っていたが、当時はかなりのマイノリティだった気がする。
スーパーカートリオの1人である加藤さんが本を出版した時は、藤沢の有隣堂で父とサイン会に並んだ記憶が蘇る。

よく乗り過ごす父

完全に話が脱線している。ホエールズの話ではなく仕事の話だ。働く父はよく乗り過ごした。ボクが幼き頃はわからなかったが、成長するにつれ、どーやら父は仕事終わりにお酒を飲んで、帰りの電車で寝てしまい乗り過ごす、とゆー事が分かってきた。
父は三島まで乗り過ごした事がある。とゆーのが当時の最長不倒記録として家庭内では共有されており、ボクが修学旅行で京都に向かう際、新幹線が「三島駅」で停車したときは、「あー、お父さんは各駅でこんな遠いところまで来たんだなぁ。」と感慨深く思った。
大学生くらいになると、平日の夜におけるボクと母の会話も「今日はどこまで行くかしらね?」とか、乗り過ごした駅から父から電話を受けるにつけ、母が「小田原で気づいて良かった♪」とか「今夜は国府津で優秀だね♪」なんて話が通常運転になっていった。

タクシー運転手さん「さっきお父さん乗せました。」

大学生になり、バイト終わりのアフターと呼ばれる飲み会からのカラオケオールでその日のバイト代をほぼチャラにしたり、東海道線の終電ギリギリに間に合ったりする日々を送るようになった。すると地元の駅からタクシーに乗ると「あ、さっきお父さん乗せました。」なんて言われたりして。それ以来、飲んだ帰りには父と「今から帰るけど何時頃到着予定?」と相乗りのやり取りをするようになっていった。
ボクが初めて酔っ払って乗り過ごした時は父は嬉しそうだったし、父も初めて乗り過ごしたときに祖父が車で迎えに来た時嬉しそうだったらしい。

就活

仕事、働く、とゆう意味では、自分にとってバイトの次はやっぱり就活だろう。法学部で法律を学び、なんとなく法律に関わる仕事と思った時、HEROの検察官ポジは厳しいけど松たか子ポジ(検察事務官)ならいけるんじゃない?と思い、池袋LECに通った。時々、同じ赤い看板なのをイイ事に、間違ったていで友達とビッグエコーに行って息抜きもした。
科目が重複するので、県庁などの公務員試験も受けたが息抜きし過ぎたのか、池袋とんちんラーメンを食べ過ぎて睡魔に襲われたせいなのか、どれもこれも落ちて、国家公務員試験だけ一次をパスできた。

面接前に肺に穴が開く

官庁訪問とゆう名の面接を受け始め、イイ感じに面接が進みいよいよ次が最終面接…?とゆータイミングで息苦しくなった。階段を昇るだけでゼーゼー言う。明らかにおかしいので病院に行ったら肺に穴があいていた。いわゆる肺気胸とゆうやつだ。肺は風船みたいなもので、レントゲンを見たら穴が空いた方だけ萎んでいた。
自分が産まれた時ぶりに同じ病院で即オペ、入院が決定し、「明日から最終面接が…」と訴えたが「すぐ手術しないとキミの人生が最後を迎えるよ」と言われ、泣く泣くこれから面接を受ける予定だったトコに電話すると「お大事にしてください」、と言われつつ、退院を待つことは難しいとのことだった。
オペは無事成功し、国家公務員の二次試験もパスして最終合格したものの、官庁訪問で内定を手にしていない為、何処にも就職出来ない状況。
あー、民間の秋採用に回るか、来年もう一度試験受けるか…なんて考えてたら知らない番号からケータイに着信があった。
「もし良かったら面接受けに来ませんか?もう行先決まってますか?」
最終合格者名簿を見て電話してくれたようだった。経済系の官庁で、正直言ってノーマークだし、受かるわけないし…まぁとりあえず行ってみるか…と思って面接を受けに行ってみた。

キャラが気に入ったから採用

面接当日は延べ10名以上の方に面接して頂いた。面接受けては待合室に戻る、その繰り返し。待合室に戻る度に学生の数は減って行った。気付けば夜になっていて、待合室に1人で残っていて「まさか忘れられてないよね?」と、思った頃に呼ばれて奥の部屋に通され人事の多分偉い感じの方に「おめでとう!」と言われた。訳わからず「何がですか?」と聞いたら「内定だよ!」と言われ、「え…ボク…全然経済とかは分かりませんが…」と言うと「キミはそーゆーコト全然知らないけど、キャラ気に入ったから採るよ!一緒に働こう!」と笑顔で言われた。
今思えば面接では、バイト、池袋ウエストゲートパーク、ラーメン、ピアノ、の話くらいしかしていない気がする。
親は「別にムリして今年就職しなくても来年受け直したら?」と言ってくれたが、キャラ気に入ったと言われたコトや、面接受けてる時のオフィスの雰囲気がワイワイガヤガヤしてて楽しそうだった事もあり、なんとなく向いてそう、良さそうだなぁと思って就職を決めた。

再発

そうして内定式も終わり冬になったある日、父はまた乗り過ごしていた。ようやっと連絡がついたと思ったら静岡にいる、とのことだった。
母と「無事で良かったね。でも静岡は行き過ぎだよね。」なんて笑っていたが、急に息苦しくなってきた。アタマがスーッとする感じ。感覚的にまた肺に穴が空いたと分かって、ホッとしたばかりの母に頼んで救急車を呼んでもらった。
再発した時のオペはしんどかった。グロい話は割愛するが、翌日、静岡まで乗り過ごした父が見舞いに来た。うなぎパイを持って。肺に刺さったチューブが痛いから笑わせないで欲しい。

勤労感謝の日、働く

そんなこんなで就職し、その後は肺気胸が再発することもなく、あれよあれよという間に10年以上経った。
その間、何度も終電を逃したり、終電に乗っても乗り過ごしたり、スイッチバックして一都一県跨いだりした。
その度に降りた駅のタクシー行列が長い時には、日高屋でラーメンと炒飯を食べて時間を潰したりして、乗り過ごしと付き合ってきた。
今年は有難いことに勤労感謝の日にイベント登壇とゆう役割を頂戴することになった。
ボクにとって働くコトは、乗り過ごしと共にあったと言っても過言ではない…実態。なので、勤労感謝の日に登壇するならば、乗り過ごし者のパーカーを着て登壇しようと思い注文したパーカーはコチラで購入した。
https://bsc.paintory.com/product/pmp010-19402-00002/?variation_id=2731

最後に。降りたい駅で降りるコツ

乗り過ごしのプロである父が教えてくれたコツ。
グリーン車に乗ったらアテンダントさんから酒とつまみを購入し、お願いベースで「もし覚えてたらでイイんですが…〇〇駅で降りたいんです。」と伝えると、声掛けてもらえるコトもあるらしい。
なお、グリーン料金は一定区間は同額なので、同額なら最長距離で買っておいた方が乗り過ごした時に追加料金が発生しない。

最近は乗り過ごす機会が減った。また、安心して乗り過ごす日々が来るといいなと思う。

https://www.cydas.com/peoplelabo/regionalbank/

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