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私の好きについて(クワロマンティック)

*クワロマンティック*

クワロマンティックについて自分なりに書いてみようと思う。

クワロマンティックの一般的な意味は「恋愛感情と友情の区別がつかない」だと思う。私はこの感覚がとてもしっくり来るし、この言葉を知る前から似たようなことを言ってるので私はクワロマンティックなのだと思う。

私は小説を書いてるのだけど、いつかのの登場人物に「ただ君が"好き"なだけなんだ。それ以上でもそれ以下でもない」と言わせていた。これが私の恋愛全般に関する価値観でテーマであったのだけど、クワロマンティック的なのだと知った。

ただ好きなだけなのだ。特別何かしたいとかはなく、そばにいてくれればいい。

「それ以上でもそれ以下でもない」というのは友達以上恋人未満という言葉から来ているのだと思う。関係に上下はないのだと言いたかったのだと思う。

*好きのグラデーション*

クワロマンティックに関する説明で、その人に対する好きに恋愛感情と友情の割合があるとあった。それはグラデーションのようなもで「恋愛感情80%、友情20%」みたいな感じ。

私の場合はそんなにきちんと数値化はできないけれど、言ってることはしっくりくる。恋愛とか友情とかそういうものが全て混じった好きなのだ。

分かりやすく言うと、私の"人として好き"は加点式。まず異性か同性か。すごく差別的に聞こえるかもしれないけれど、異性ならそれだけで加点される。その次が見た目。最後が中身。なんかすごく当たり前のことを言ってるような気がする。

私は基本的にあまり人を減点することはないので、極端なことを言えば見た目が100点なら中身が0でも良いのだと思う。

私が言いたいのは、その合計点で人の好きの度合いが決まるということ。そしてこの方式が全ての人類に適応される。

だから私は同性のことがあんまり好きじゃない。それは見た目での加点がないからだと思う。でも逆に言えば中身の点数が高ければ同性のパートナーもアリなのかもしれない。

私は好きな同性のアーティストがいるけど、その人に向く好きは、好きな異性とあまり変わらない。それは中身の点数が恐ろしく高いからだと思う。

*好きな人*

私が好きになってきた人に異性が多いのは、恋愛感情的に加点される好き(見た目とか)の割合が高いからだと思う。

そもそも私は人のことを中身で好きになることがほとんどないから、どんなに高くても40点とかでしか性格では加点されない気がしてる。

ただ、中身に関しては性格以外にも基準があって、それは表現が難しいのだけど、美しさ的なものだと思う。さっきあげた好きなアーティストはここの点数がずば抜けて高い。

*好きなもの*

anoneというサイトでセクシャリティ診断をしたときに、クワロマンティックの説明に人以外にも同じような感情を持つと書いてあった。他のサイトを軽く調べたかぎりでは見当たらなかったけど、私はこれがよく分かる。

好きなもの(小説)への好きと、人への好きの区別がつかない。例えばその小説を何でもないときにふっと思いだしたり、また読みたいなぁと思って胸が締めつけられたりする。何なら枕もとに置いて一緒に寝たいけどなぁ。

*恋愛と友情*

男女の友情みたいなことは正直よくわからない。友達ってこと……?それは、えっと好きとは違うんだよね……?みたいになる。

私は1点でも点数があれば基本的には好きなので、友達と好きの関係性みたいなものはよくわからない。

その友達と恋人になりたいかというと、どっちでもいいというのが答えな気がする。ただ恋人になるとそういうことをしなければいけないので、そこがひとつネックな気がする。

でも誰かを自分の中で特別に置くという感覚があまり分からないので、恋人という関係には否定的なのかもしれない。それに恋人になるとやっぱり独占欲とかが多少なりとも出てきてしまうし。

*まとめ*

私の好きをまとめてみた。自分で書きながら、どれも当たり前なのことなんじゃないかと思った。たぶん傍から見れば、私の恋愛価値観は大多数の人と変わらないのかなと。

私の交友関係は超がつくほど狭いし、今後も異性の友達が何人も同時にできる、みたいなことはないと思うので、このクワロマンティック的な好きのせいで困ることはないのかなと思う。

でも恋愛には憧れがある。だから好きな人なら誰でもいいみたいなに考えてしまって、それは相手に失礼だと逆に遠ざかってしまう。

好きな人には好きだって伝えていきたいなって最近思う。伝える努力もしているつもり。恋愛とかそういう感情抜きに好きだって言えたらいいなぁと思う。

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