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三線を持って沖縄へ#02「安波節」の歌碑

「安波(あは)の真はんたや 肝すかれ所 宇久の松下や寝なし所」
意味は「安波の海の崖に立つと心が清々しくなる。宇久の松の下は気持ちが穏やかになる。」
沖縄県北部の安波という集落で歌われてきた「安波節」の一節である。

三線を習い始めてからというもの「安波節」を練習するたびに地味な曲だなと思いながら練習してきた。
だから練習曲としては面白くない。

しかし、ある出来事をきっかけに「安波節」が好きになった。それは歌碑。
沖縄県国頭村を訪れていた時、夫が地図を見ながら「このあたりに安波って住所があるけど、もしかして安波節の安波かな」っと呟いた。
検索すると見事に正解、しかもGoogleは安波節の歌碑が近くにある事も教えてくれた。

「安波節の歌碑の前で安波節を弾きたい!」
夫の目が輝いた。

目の前に海が広がり、海に向かって川がつながる。
優雅な川の流れに割って入るかのように山が反り立ち、その狭間に歌碑があった。
11月になろうとしているのに、まだまだ暑い沖縄の空気に包まれた全身に涼しい風が山から海に下りてくる。
歌碑のまわりの空気は滞ることなく、歌碑にぶつかり生き生きと舞い上がっていた。
歌詞に出てくる清々しいとは、このことなのかも知れないと想像すると、急に安波節に親近感を感じてしまった。

歌が作られた場所を訪れるということは、歌を深く理解することに通ずる。歌が作られた場所に行く旅と行かない旅の楽しさには雲泥の差があることに気づいた。
また、歌碑があることの意味や歌碑を建てることの重要性を身をもって実感することができた。

私の歌う安波節はまだまだ練習不足で、聴けたものではないけれど、他のレッスン生の誰よりも情感たっぷりに弾けている気がしてやまない。
それは私が安波の海と山と風を想像するとこができるからだ。

一方で夫は、あの時「宇久の松下」が見つけられなかったという事を悔やんでいる。
しかし、歌碑の前で立派に安波節を弾いていた彼は私よりも安波の空気を吸収したに違いない。