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東北 - 3.11東日本大震災から7年(前編)

離れて4年弱。豊富なコンテンツにとことん魅了され、人生観を大いに揺さぶられた東北への愛や想いは色あせるどころか、増すばかりです。後ろ髪より前髪を引かれる感じです。以前、①心身ともに満たされる東北の魅力満点さ、そして、オランダから振り返った3.11から6年目をポストしました。


東北は日本人の国内旅行として(観光入込客数)も相対的に振るわず、

訪日外国人の東北訪問率(宿泊)は日本全体合計の1%、東北の認知度は最も高い地域(アジア)の方でも12.6%という現状です。

出典:「2017東北インバウンド意向調査」日本政策投資銀行 東北支店


裏返すと、東北の魅力が届けば、観光は盛り上がる余地がたくさんあります。英語の勉強も兼ねてフォローしている、東北在住イギリス人YoutuberであるChris Broad氏の「abroad in japan」を視聴していて、改めてそう感じます。東北や日本の魅力を海外に発信しており、日本で活躍する外国人Youtuberのうち、視聴登録数トップクラス。英語の勉強上も勝手に師匠と呼んでいます。


こんなことを書いていたら、Chris氏が3.11の現状に関する動画を公開しました。彼は元々映画監督を目指していた方で、それも関係あるのか、構成も映像も素敵で、いつか東北関連でコラボしたいという夢を勝手に抱いていました。

こういう偶然を自分はまさに運命やご縁と信じてしまいます。


今回は、7年弱経とうとしている東日本大震災3.11、被災地の現状について書こうと思います。


東日本大震災から7年弱。復興の現状、どのようにイメージされますか?

「① 避難者は、約47万人から約8万人まで減少(平成29年12月)
うちプレハブ型仮設住宅の入居者は、約2万人(平成29年12月)※ピーク時は11万人強」

出典:復興庁「復興の現状と課題


この数値を聞いて、もうそこ「まで減少」したと思うか、7年弱経った今なお、まだ避難者8万人、仮設暮らしの方が2万人もいると思うか。個人的には後者です。


被災地訪問は、ダークツーリズムの一環であり、辛く、悲しいものだと思う方もいるかもしれません。確かに、悲惨で残酷な事実はありますが、7年弱経った今でもなお、現在、将来を生きるものとして様々な気付き、学び(絆、人の温かみ/強さ/前向きさ/底力、知恵の大切さ、思い込みの怖さ、生の尊さ・有難み)があり、そして何より東北の魅力満点のコンテンツで心身が幸せになります。


私も復興関連業務やオフで被災地を訪問する際に、当初はどこか遠慮していましたが、現地の方から聞いた想いを個人的にまとめれば「辛い過去の事実は変わらないけど、それをどう現在、将来にいかして、よりよく生きるかは変えられる。それこそ、被災した人、犠牲者が望み、浮かばれることかもしれない」ということだと信じています。


私が直接の被災者ではなく、「よそ者」であることは変えられませんが、よそ者であるからこそ気付き、お伝え出来ること、東北の魅力があると思い、ノートを作成しました。全体公開しておりますので、シェア含めてご自由にどうぞ。


それでは本題です。震災後東北に赴任し、帰任後も毎年帰っていた心のふるさと東北。オランダからの一時帰国で昨秋滞在した被災地の現状は以下の通りでした。



宮城県 女川町】人口約1万名(当時)、死者行方不明者900名以上(被害割合で最も深刻な地域の一つ。死者・行方不明者/避難者の率は被災地で最大とも。)


現在、津波の凄まじさを肌で感じられるもの(「震災遺構」、後述)は横転した旧女川交番のみです。


続いて、女川地域医療センターへ。
入口近くの石柱には「2011年3月11日津波到達高、1階床より1.95m」と書いてあります。

人によっては「1.95m」そんなものかと思うかもしれませんが、

津波の高さと被害:
30cm 立っていられない
50cm 人が流される
1m 車流される(計算上の人の死亡率は100%とも)
2m 建物倒壊


なお、この地域医療センターは高台「16m」ほどに立っています。つまり、上記の到達点は1階から「1.95m」であり、海抜=津波の高さは「17m台」。何度来ても、想像を絶します。


地域医療センターから撮影した現在の様子。未だに嵩上げ、盛り土の最中です。


震災前の女川の様子。熊野神社からなので位置は近しいと思います。

出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト



宮城県 南三陸町】人口約1.7万名(当時)、死者行方不明者800名以上


来る度に景色が変わります、盛り土で。1年半ぶりでしたが道も随分変わっていました。地元の方でも時折、混乱するレベルとのことです。


左の白い建物が高野会館(震災遺構)、右の赤い建物が南三陸防災庁舎(震災遺構)です。防災庁舎は盛り土で3階部分以上しかもはや見えませんが、高さ12mです。この建物が津波でどのような経過を経たかは私の下手な説明より、この動画をご覧ください。


防災無線で最後まで避難を呼びかけ、自らが犠牲になってしまったものの、多くの生命を救った遠藤さんのエピソードも有名です。「君の名は」は新海監督が3.11にも影響を受けて制作されているとのことですが、劇中の防災無線シーンでは、個人的に南三陸のことが頭に浮かびました。

出典:IBA street pictures


ピラミッドのような盛り土です。10数メートル級の盛り土は至る所で、最大は20mとも言われています。

2013年、オリンピック/パラリンピック(オリパラ)の東京開催(2020年)が決定した時、東京、日本全体では歓喜のニュースが飛び交いました。しかし、被災地ではこのニュースに関し、オリパラ関連のインフラ整備に向けて、建設資材、技術者、人材流出で復旧・復興が遅れるとの不安が表出しました。私も東北にご縁がなかったら、前者の観点、視座しか持ち合わせなかったと思います。視野を広げ、表裏の「裏」にも敬意が払える、想像力が働かせられるようにありたいと実感させられた2013年の出来事でした。


一方で、現在はオリパラ自体が東北を巻き込む形で計画されていますので上手く進んでいくことを願っています。

生きたかったら、ここに残れ」。男性の怒鳴り声が響いた。
会館を出ようと、ロビーに殺到した人だかりが歩みを止めた。階段の前で、従業員らが大きく手を広げ、仁王立ちになって行く手を遮っていた。

出典:河北新報アーカイブ大震災


この高野会館は、避難した300人以上を全員救った場所として有名です。一方、ホテル観洋にあった記事には、「全員助かったからよかったものの、一歩間違っていれば、会館に残れと指示した自分のせいで全員が亡くなるという大罪を犯していた可能性も十分にあった」という言葉は非常に重かったです。命に係る選択は常にシビアです。


津波の際の理想的な避難場所は、①「水辺から離れており、かつ、水位が高くなっても、さらに高いところに避難できる山や丘等」とされています。一方、常にこれが正しいとも限りません。


地震発生後から津波発生までの時間はまちまちであるため、山や丘に避難する途中で津波に飲み込まれる可能性もあります。高野会館では高齢者がいたこともあり、これを想定してとっさの判断で屋上にしています。ただし、絶対的な正解はここになく、各人が①まで行ける時間的余裕があるか判断し、ないと判断すれば、近くの頑丈でより高いものを目指すことになります。


最後、自分の命は自分で守るしかない
まさに「津波てんでんこ」という先祖が身をもって経験してきた知恵、教訓を被災地や被災地以外の現在、将来世代に受け継いでいく必要があると痛感させられます。


逆に、前例、過去の経験、思い込みにとらわれる恐ろしさもあります。過去のチリ地震大津波の時でさえ、この地域は被害がなかったから、今回も大丈夫だろうと思い込んで犠牲になった事例も報道されました。


高さ10m、全長2km以上で、世界最強と言われた岩手県宮古市田老の防潮堤も、その思い込み故に、避難が遅れて犠牲になってしまった事実もあります。地震=津波=てんでんこで逃げる。以前の成功体験、無事に引きずられず、自分で考え、判断する。これは災害以外にも当てはまることかもしれません。


ちなみに、この高野会館は4階まで津波が到達しています&前述の通り、震災遺構になっております。「震災遺構」も後代や他地域の方の教訓のために残す意見と、震災を思い出しくないため、解体を希望する被災者や住民の意見とのジレンマを常に有します。


既に解体されたものも多く、現存するものも時限措置として保存し、将来、保存か解体を決定するというものも少なくありません。その意味で、被災地往訪に関心がある方は、一度早めに行かれることをお勧めします。

南三陸ホテル観洋からの眺めです。平時の志津川湾は凪いで静かな海で本当に美しいです。自然は時に恐ろしく、平時は美しい。


ホテル観洋は避難所として多くの命を救い、その後長い間命を支えた場所として有名です。7年弱経つ今でもなお、「語り部ツアー」を「毎日」開催しています。プライベート及び、3.11の風化を危惧して会社同期と企画した被災地研修も含め、今回5回目の参加でしたが、毎回新たな気付きや学びがあり、涙が止まりませんでした。


そして、写真の通り、東北の海の幸を、これでもか!というぐらい、心から堪能できます。うに、いくらというと、北海道のイメージがあるかもしれませんが、東北、特に岩手も大漁です(岩手は北海道に次ぐ2位)。あわびは岩手1位、カキは宮城2位です。さんまも、そして世界に誇る気仙沼のふかひれも。



かに、海鮮


うに


あわびの姿焼き


いくら


うに釜めし


世界に誇る気仙沼のふかひれ

なお、このホテル観洋も高台に建っているにも関わらず、2F部分まで浸水(海抜15m程度)しております。お風呂に入ると、ここまで津波が来たのかと実感できます。


陸前高田市、その他のエピソード(後編)は後日改めてご紹介いたします。

最後までお読みいただき、有難うございました。

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