損得感情
損得勘定で動きたくない。
実際には損得勘定で動く場面というのは、普通に生活していれば日常的にあるもので、それはこの社会で生きている限りは仕方のないことかもしれない。
それでも、損得勘定では動きたくない。
周りを守る為の損得は大事なのかもしれないけど、自分の為の損得だったならばそれはできるだけ捨てたい。
実際には、僕もかなりの損得で動いている。
無意識的にも、意識的にもそういう選択をすることが日常的に多くある。
その度に、自分の卑しさに苛立つ。
社会の中でも、損得を考えることは当たり前とされているし、生きていく上で必要な能力だと納得されている。
人の集まる場所でも、そこまで親密でない関係の中では、全面的に自分の信じるものを押し出すよりも、損得で語る結論が落とし所となる。
しかし、そればかりで自分の行動を規定すれば、いつか感情も「損得感情」でしかなくなる。
もっと自分の好き・嫌いや、自分が信じるものに素直に行動をしたい。
そして、もっと自分が信じるものを一切の真面目で語る空間も、真剣さもあっていいはずだ。
損得は必要だけど、それを信じてはいけない。
信じるものは、損得以前の感情にあるはずだ。
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