ただ生きていい

先日テレビである若手起業家のドキュメンタリーが流れてきた。

22歳で起業して、25歳にして1000億円企業にまで成長させた有名な若手起業家。
ここ最近SNSなどにも頻繁に広告が流れてくるから、一度は見たことあるような人気コンテンツを生み出した若手のカリスマみたいな人。

番組中、少し年上のNYで活躍する先輩若手起業家に会いにいく場面。
若くして大きな成功をおさめて、さぞ楽しい時間が待っているのかと思いきや、
二人して日々の苦悩と将来への不安を漏らしまくる。
毎日吐き気がするほどのプレッシャーを感じている。時には会社のロビーを歩きながら社員の前で吐いたこともあるらしい。

そんな彼らの共通する目標は、
とにかく「1番になること」。
ネットを使った各種サービスの中で、数字としても認知度や革新性の点でもとにかく1番になりたいという。それじゃなければ意味がないとまでも。

正直、素直に素晴らしいと思う。
そこまでの情熱と野心はいったいどこから来るのだろう。
動機はなんだろう。
たぶん動機などなく、「上を目指して突き進む」っていう謎で無根拠な動機が溢れてとまらないからやっているだけのただそれだけの話だろう。
いい意味で異常者なんだ。



昨今「起業」やら「イノベーション」という言葉を見ない日はない。
少しばかり裕福な国に生まれれば、誰もが挑戦することを許されているし、
実際それを実行できる手段や方法論も存在する。選択肢もある。

そんな時代だからこそ、
何かに「チャレンジすること」や、自分や社会を「成長すること」をしている状態が当たり前になってくる。
そうなってくると本来感じなくてもいいような窮屈さが社会に出てくるだろう。

まるでそれをしていなければ、なぜか後ろめたさのようなものを感じてしまう。
何もチャレンジしていない自分が悪者のような根拠のない不安感。



でもそれは、ほんとうに根拠なんてない。
そういう美談は、人の気持ちを確かに昂ぶらせるけど、自分までそれに影響を受けすぎることはない。
そういうことは、
それができる人や、ほっといてもやってしまう人に任せていいんだ。

「やりたいことがみつからない。」
探してみるかるものじゃない。自然に動いていれば運が良ければ勝手に見つかる。
そんなことを考えてる時間があれば、ただ今自分がやるべきことをやって生きるだけ。

「ただ生きる。」それのどこがダメなのか。
フツーに結婚して、フツーに稼いで、フツーに家とか買って、フツーに幸せ。
それでいい。
言葉にしたらフツーだけど、「フツー」の人生なんて存在しない。
自分にとっての帰る場所は、必ずフツーじゃないはずだ。
フツーの、特別なもの。

「No,1にならなくてもいい」とか「自分だけの唯一特別な人生」
とかそんなくだらないことじゃない。

ただ生きる。
フツーに生きる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?