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センスのあるひと

世の中にはセンスのある人と無い人がいる。
だいたいセンスってなんだよ、ってところがすごく曖昧だけど、そういう曖昧で定義づけできないけどあきらかに上手くやったり感度が高い類の人が存在する。

スポーツなどのフィジカルと身体感覚が重要な「センス」っていうのは、要するにボディバランスと、自分の身体を思い描いた通りに動かせる身体感覚とそれを再現する技術が優れているということだろう。
僕は野球をやっていたからよく分かるけど、本当にセンスがいいやつは経験云々の話以前に、初めてやった時からうまくやってしまう。その動きをするのが初めてのはずなのに、今までの自分の身体的な感覚と経験から、思い描いた通りにうまくできてしまう人というのはこれはどうしようもなく存在する。
その後の、再現性の精度というのは努力でカバーできる部分もあるけど、最初からセンスがあるやつが必死に精度をあげる努力をした場合、悲しいけどなかなか敵わない。


そういう身体的センスは別にして、いわゆる文化的センスというか頭脳的センスという類のセンスは、先天的なものもあるけど多くは後天的に作られると思う。
その場合の「センス」。これは言い換えれば「経験」といえる。

幼少期に色々なセンスはすでに形成されるといわれるけど、その場合も、その幼少期に周りの環境の中で自分の身体で感じた経験が元になって形成される。生まれ持った特殊能力を備えた天才や異才は確かに存在するのかもしれないが、そのほとんどは幼少時代にしても後天的に作られたもののはずだ。

学校などは基本的に皆同じことをやっているはずなのに、その中でもセンスの磨かれ方は人それぞれ違いが生まれるけど、その時に大事なのが、
「自分の身体で感じたことや体験したことを、"経験"として感じられるか。」ということなんじゃないかと思う。
逆に、センスが無いといわれている人は、経験したはずのことを単なる"情報"として扱っているんじゃないか。どんなことを体験したのであれ、それは自分の身体の中で感じているはずで、外で起こっていることだけど同時に自分の中でも起こっていることのはずだ。それを無視して、単なる外で起こったこととして頭で処理するだけで、それは経験ではなく情報として蓄積されていくだけなイメージで。


センスはいつでも磨くことができる。
でも、その時にここの姿勢を間違っていたら、ただ扱える情報が増えていくだけだろうと思う。
その情報を、しっかり「経験」として自分の身体でもって理解することが大事だ。
頭で理解することはもちろんその後の再現性の部分で必要になってくるけど、その前にその体験を身体や心で感じた、その生の部分をしっかり深いところにおさめることがなにより大切だろう。
情報ではなく経験に。
頭の前に身体と心に正直に。




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