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一人の人生

今日家に帰ってから、昼間に行われた日大アメフト部の選手の記者会見を見て、
とても胸が痛い。そしてとんでもなく胸糞が悪い。

彼がやってしまったことは決して無くなる訳じゃないし、事実やってしまったことは彼個人の責任になるのだけど、今回の一件がとても個人の責任だとは思えない。
後悔や自責の念を持ち続けてきたこの10日強の辛い心情の中、自分がしてしまったことのケジメをつけようと公の場に立った20歳の彼のその行動には敬意を感じる。

それに比べて、いい大人が集まった教育機関としての組織が、今だに責任逃れをし続けようとしている状況は完全に終わっている。

教育機関を名乗る以上、そこに在籍する生徒や選手を守ろうとすることが本来当たり前の態度だし、そうしなければならないだろどう考えても。
それに、本来教育機関で行われるスポーツというのが、将来のプロ選手を育てるという役割もあるが、それにふさわしい人間としての人格を育てる、また、その成功体験・失敗から立ち上がる術を教えるという人間教育の部分の役割の方が大切なはず。だって、プロになれる選手というのはほんの一握りで、その他の大部分の選手はそこから別の道を歩いていくことになるのだから、スポーツを完全にその競技の中だけで考えていてはただの閉じられた村社会の中だけの出来事で終わる。
そこから出た後の時間こそが大事な訳で、その後の長い時間を生き抜いていく力や技術を、身体を通して学ばせることこそがスポーツが担う役割なはずなのに、それを無視して閉じられた業界の中だけの単純な勝ち負けだけにこだわって選手にあんな指示を出してしまうことは本来スポーツが持つ本質的な意味を忘れた本末転倒な愚かな考えだ。


今のところ辞任するだけして、自らの口から事実の説明がされない監督に関しては言うまでもなく無責任で、指導者としても一人の大人としても完全に値打ちのない人間だけど、今回の件に関しては日大という組織の対応が卑劣で往生際が悪すぎる。
これは現時点では憶測の域を出ないことだけれど、監督が試合後に言ったことが本当だとしたら、今の今まで事実の言及を避けているのは大学側から何らかの指示があったとしか思えない。どこまで責任を逃れるつもりなのだろうか。
大学としてのブランドイメージを守ろうとするのならば、事実起きてしまったことを即座に認めて、それ相応の謝罪をすぐに出した方が世間のイメージはまだずっとマシだと思う絶対に。

いち教育機関のメンツのために、日本代表に選ばれるような将来有望な選手を失ったこと、それ以前に一人の若者の人生が狂ってしまったことを日大とその関係者は真剣に考えて欲しい。本当に。
今だに「受け取り方の乖離が問題。」とか言ってエスケープしようとしている対応を見ればそんなこと考えようとしているとは思えないがどうか本気で考えてくれ。

彼は自分のしたことに責任をとるために公の場に立った。自分の中でも「このままでは終われない。」という後悔や自責の念があって、ケジメと区切りをつけることと、事実を知って欲しいという葛藤があっただろう。そして会見をいう決断をとってそれを全うした。
しかし、自分が所属していたコミュニティーである組織に裏切られたことや、こんな形で世間の前に出ることになったこの件のせいで、これからの長い彼の人生に影響を与えないはずがない。どうしてこんなことになるまで追い詰められなきゃならなかったのだろうと思うと胸が苦しすぎる。悔しい。



事実を知ることは大切なことだけど、それ以前にどうしてここまで追い詰められなければならなかったのか。教育機関というのがいったいどういうものなのか。そしてスポーツというのが、社会の中でいったいどういう役割を担っているのか。
その本質的な問題に真実があるし闇がある。
長年続けられてきたことによって村社会のようにある範囲の空間の中だけで通じる「常識」のような間違った思い込みがあることを根本的に見直してほしい。

そして今回のこの件とまったく同じことを今まさに自分の国が行っていることに危機感しか感じない。
地位や保身の為に、人を追い詰めていくことを全く厭わない人間がこの世界にはいつでも存在していることが、今でも全く信じられない。なにを目的に、なにを感じて生きているのだろうか。全く分からない。
そうして生きた先に、何かあるのだろうか。
おそらく何も無い。あるのは心底冷たい悪意と値打ちのない欲だけだ。




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