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ドキドキしていたいだけ

今日の16:30すぎ、息抜きの一服の為に四ツ谷のビルから外へ出た。

暖房が効き過ぎた室内にいたせいか、頭がボーっとしてて、その乾燥で喉も痛かった。
少しでも涼みたくて、外の空気を吸おうとビルの出口を抜けたけど、外は想像以上にぬるかった。
暖房で火照った身体を冷ますにはもの足りない空気だったけど、
嫌な感じはしなかった。というより最高に気持ちのいい空気だった。
気持ちがいいというより懐かしい。

西に大きく傾いた太陽が、工事中のビルを照らしていた。
足場に貼られた粉塵避けの白い布が風に揺られながら、その真っ直ぐな西日を反射していて眩しかった。
冬を越えて新緑になりかけている木も、西日を受けて赤くなっている。

ドキドキしていた。ただただ気持ちが良くて。
タバコに火を付けるころには喉が痛かったことなんて忘れていた。

直前にラジオで言っていた。
「ワクワクしすぎて、夜の街に繰り出さずにはいられない時はないか?」
その言葉そのまま現実にしたような気分だった。

あまりにもドキドキしすぎて、夜の街に繰り出さずにはいられない。
そんな時がある。別に夜の街じゃなくてもいい。とにかくドキドキして、何かをしなければしょうがないという時。
その気持ちの勢いそのままに、ほんとに出かける時もあれば、
明日のことを考えて止める時もある。
今日も缶ビールを1本飲んで写真を撮って、そのまま飲みに出かけたかったけど結局缶ビールをもう一本だけ買ってそこそこに家に帰った。
それが、大人になったということなのか、それとも単純につまらなくなったということなのかはまだ分からない。

ただ、そのドキドキを忘れてはいけないんだろうということだけは分かる。
そのドキドキも感じなくなったその時が、本当につまらない人間になるんだろうということくらいは分かる。

30歳も近くなると、周りはだんだん節度を持つ。
夜も遅くなれば帰るし、次の日が大変だと分かっていれば気持ちを抑えて家に帰る。
それぞれの生活があって、それぞれの責任があって、それを全うしようと努力する。
えらいなと思う。
でも、それが寂しくてしょうがない時もある。
僕にも生活がある。もちろんほとんどフツーに家に帰る。
今は小さいものだけど責任というものもある。それを完全に放棄するほど世捨て人ではないから、自分に言い聞かせてマトモでいようとする。

ただ、ドキドキに諦めがつかない時もある。
僕は、気持ちの切り替えがうまくできない。
よく、ハメを外したり思いっきりドキドキした時間を過ごしたあとその時間によって気持ちがリセットされたのか「また明日からがんばれる!」とさらにエネルギーを蓄えて次へ進める人を見かける。別に目の前で見かけるわけじゃないけど、SNSでもメールでも、あらゆる所でよく見る光景だけど、僕はあれが分からない。
ドキドキすることがあったなら、できるだけそこにいたいと思ってしまう。
明日の生活があるのは分かっているけども、その時はそんなことどうでもいい。ただただできるだけそれが終わらないことを欲望する。
次の日になっても切り替えができていない。すぐに切り替えられるわけがない。
まだフワフワしながら、いつまで経ってもそれを思い出しては、もう過ぎてしまったことに残念な気持ちで胸が苦しくなる。何もマトモに向き合える状態ではなくなる。

昔から、学校帰りに友達と遊んでも、とにかく帰りたくなかった。
みんな門限があるから、時間が来れば帰る支度を始める。でも、そんな時はいつでも寂しくて仕方がない。もっとドキドキしたくて、まだ遊ぼう!と友達を引き止めようとした。引き止めなくとも、その前からなんとなく帰らない方向に持っていこうと色々画策したりした。
祭りのあとなんかは、家に帰ったあともその時間が終わったことが虚しすぎて、いつも全然眠れなかった。

これが、今も基本的に何も変わっていない。
もちろん、なんとかふんばってマトモでいようと努力はするけど、気持ちが全然ついて来ない。全く切り替えなんてとんでもない。
ドキドキがあるのなら、もっとドキドキしたいとその先へ進もうとする。
それがたまに無茶だと分かっていながら、その瞬間はそれを止めることができない。
そしてまた失敗を繰り返す。
切り替えと、諦めがつく人が、ほんとうにえらいと思う。

別に無茶をしたいわけじゃない。
できるだけ無茶はしたくない。無茶というのは筋が通っていないことだからだ。
別にいつまでも子供でいたい訳でもない。
きっちり責任を全うできる人間でありたいと思う。
ただ、そんなマトモを忘れたい時もある。
忘れたくなくても、忘れられずにはいられない時がある。
我を忘れてドキドキに突き進みたい時がある。

ただただ、ドキドキした気持ちで生きていきたいだけなんだけどな。



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