読書座談会記録 「茶の本」を読んで

2024年3月23日に実施した身内の読書座談会で私が発表した内容を、身内向けに展開する目的もあり公開しようと思います。口語調で書いた原稿であるのと、話題の緩急のためにブラックジョークを入れたりしているため、多少読みづらいところがあるかもしれません。

座談会用語り原稿(10分目安)

茶の本を一言で表すなら、「日本の天才ストーリーテラーは此処に居た!」。

この本は、プレゼンテーションとしての質の高さであったり、レトリックの巧みさであったり、とてもよく勉強していなければ描けないストーリー構成であったり、色々と評価するべき所が多い本だと思ったんですが、参加者が7人も居れば素直に書いてあることに触れて話してくれる人は他に居ると信じて、今回は書いていないことに着目して語ろうと思います。

語りの筋を理解してもらうために、先ずは時代背景からさらっていきます。岡倉天心の生きた明治時代は1868年から1912年の44年間、日本の産業革命期と言われる正に激動の時代。世界に目を向ければアジアは西欧列強による植民地化の危機にあり、アフリカに至っては植民地化のルールまで堂々と作られた時代。昭和から令和にジャンプするよりも大きなパラダイムシフトがあって、もしかしたら日本人は今より多様性に富んでいたかもしれない。そんな時代に書かれた本ということを覚えておいて欲しい。

で、天心の人物像も背景になる。彼は明治時代の始まる5年前、1863年に武家から貿易商に鞍替えした家に産まれて、「西洋のものは何でも良いものだ!」という文明開化ブームのど真ん中に青年期を過ごしてる。あと9歳で母親を亡くして、16歳で結婚してます。「立派に生きねば…!」という気持ちが強かった。そこに人生の師にあたる人物が寺の住職とアメリカ人の哲学/美術史家という、当時の人文学ハッピーセットが影響を及ぼした訳です。結果的に天心はネイティブ顔負けのバイリンガルになるわ、17歳で文部省の役人になるわ、憧れるのをやめましょうレベルのインテリエリート街道を突き進んでいく訳です。ここまでが前提理解。

茶の本は「西洋世界が武士道を読んで日本文化を知った気になることへの反発から書かれた」とされています。確かに、よくよく読んでみれば武士道への賛美は徹底的に排除された表現になってます。茶の文化を語る上で織田信長について触れないのはなんで?利休の切腹は正に武士道の系譜なのに、強引に花と茶道に回収しているのはなんで?武士道への反発、というのは字づらだけに止まらないコンプレックスや別の感情の発露ではないの?と思ったので何度か読み返してみました。

植民地主義全盛の時代に、武ではなく美による連帯を模索した岡倉天心。「音楽は国境を越える」など、我々に馴染み深い文化軸での連帯論。その先駆けとも言える茶の本について、小ネタを挟みつつ批評的に感想を語ろうと思います。

語りの補助線は二つ、宗教的表現と文化史的位置。

まず第一章で、茶道は不完全さを愛でる宗教としたことについて。新渡戸稲造は武士道において、宗教教育が無いのにどうやって道徳を教えるのかと問われたことを書いてますが、茶の本はプレゼンテーションの編纂なので、アメリカ人向けのチューニングのために茶道を宗教として取り扱うという切り口が天才だと思いました。**憧れるのをやめましょう。**これがチューニングだというのは、アジテーションの強さからも明らかだと思うし、実際に禅仏教との混交で宗教要素は多分に含まれているので嘘も付いていない。

第四章で語られているのは、茶室は1つの宇宙だ、ということ。宇宙はそもそも仏教用語で時空を指す言葉なんだ。書かれてはいないけれども、「合意のもとに囲いによって作られる神聖な場所」という概念は古代神道の系譜でもある。日本という土地に根ざした文化として、第二章と第三章で語られている観点を経て、茶道が道教と諸行無常・諸法無我の仏教精神を引き継いでいますよ!というストーリーが出来上がっている訳。これは宗教性を共通理解のフックにしてアメリカ人の意識を惹きつけるので、プレゼンとしてとても強い。

天心はそこから更に踏み込んでいて、第五章で鏡としての芸術、その美しさは共感による自己肯定の輝きであると示してる。これってキリスト教の神と個人の関係とよく似た構造になってるんだ。これによって芸術美そのものを神と同じ位置にシレっと置いてしまうわけだ。それは第六章において花を擬人化して散文詩調に描くことで、禅仏教の概念である無常説法をごく自然に受け入れさせようとする姿勢にも見て取ることが出来る。

無常説法について補足すると、禅仏教ではこの世のあらゆるものが仏なので、自然環境もまた仏の教えを説いているんですよ、我々にはそれが聴こえないだけですよ、謙虚に自然から学ぶことも大切ですよ、という教えのことを言います。つまり、天心はアメリカ人に対して茶道と華道を隠れ蓑にした禅の説法をしている構造がある訳だ。

この時代以前にスピノザ哲学は成立しているので、おそらく「神即自然」の概念を知っていたであろう西洋知識人たちには刺さったでしょう。43歳でこの深さまでターゲットを狙い撃つプレゼンテーションの天才。**憧れちゃう…のをやめましょう。**こいつが詐欺師になってたら日本ヤバかったね。

次は視点を移して文化史的な位置関係から補助線を引こう。

第二章、真の美を自然そのものや細部に宿る神のような捉え方をしている点と同時代の芸術に対する言及は民藝に繋がる思想だと感じたし、理想の茶に文化の特色が出るというのは、別に茶に限ったことではなく、レヴィストロースの「野生の思考」にも繋がる話だと思った。

第三章の当てにならない倫理道徳は短射程では西田幾多郎「善の研究」、長射程ならSDGsまで絡める話題。虚の働きは特に音楽史、例えば現代なら崎山蒼志などを引き合いに語ることも出来るだろうと。

第六章ではエンパシーを用いた物質主義や無自覚な残酷さへの批判していて、これも環境問題に対する自然保護やケアの倫理学に繋がる話だと言えるんじゃないかと。現代日本のリベラル知識人モドキたちに爪垢煎じて飲ませたい先見の明ですね。うーん、憧れるのをやめましょう!

とまぁ、これら全てに通底しているのは一種のヒッピー的平和主義、つまり植民地主義へのカウンター思想なんじゃないかと。だから、第五章で武士の時代において茶の湯文化確立に一役買っている織田信長に触れていないし、第七章では切腹をした利休の描写を花の命に見立てることで武士道的な見方を回避してる。個人的には第七章のレトリックが素晴らしすぎて、ドラマチックだからこそ、浮かび上がる欠落、虚の中に武士道が見えて仕方なかったかなという感じ。

生まれる時代が違えば武士だった筈なのに商人の子として産まれたので、天心が武というものに対してコンプレックスを持っていたのか、愚かなものだと思っていたのかは断定出来ない。が。ただ、生き方としては当時の上流文化に浸かっているので、後者の割合が幾らかは多かったんじゃないかなと思います。

さて、そろそろ話を畳んで行こう。

今回、茶の本を何度か読み返して頭に浮かんだのが、支配階級の文化に日本の基盤を求めた新渡戸稲造、上流の文化から東洋を描いた岡倉天心、庶民の文化に日本の基盤を求めた柳田国男、庶民の文化に東洋を認めた柳宗悦。  おおよそ同時代を生きたこの四人の中で最も広範囲に連帯を求めたのが天心で、最もビッグストーリーを意識したのも天心なんだ。つまり、**明治時代のユヴァル・ノア・ハラリと言って過言ではなく、天才ストーリーテラーは此処日本に居た!と言えるのではないかと。茶の本は岡倉天心における「偶然性・アイロニー・連帯」ならぬ、「不完全性・ティーズム・連帯」**なんじゃないかと。

茶の本の出版からざっくり120年経って、昨今世界情勢は新しい戦前と言われる有様ですよ。もちろんまだまだ武力も大事だけれども、美という非言語コミュニケーションに活路を見出した天心の思想というのは、有事を回避して世界の連帯を働きかけていこうとするならばね、現代を生きる我々にこそ大いに学ぶところがあるのではないかと。そう感じました。

最後に一つだけ。 岡倉天心すげぇわ、憧れちゃうね! 以上、ご清聴ありがとうございました。

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