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【コラム】「さよなら、DJ」1st season最終回候補説|古畑任三郎大事典

※ほぼTwitterでツイートした内容を貼り付けただけです。

1.サブタイトルをヒントに

『古畑任三郎』の最終回のサブタイトルは、

  • 1st season :「最後のあいさつ」

  • 2nd season(※実質的に):「しばしのお別れ

  • 3rd season:「最後の事件」(「最も危険なゲーム」)

  • FINAL:「ラスト・ダンス」

と、「最後」「別れ」が入っていることを考えると、「さよなら、DJ」も実は1stの最終回候補だったのでは、という説を提唱しておきたい。

2.「最後のあいさつ」の不確実性と桃井かおりという女優の格

サブタイトル以外にも手がかりはある。たとえば、たしかに「最後のあいさつ」は古畑の目上の犯人、そして演じるのが大御所・菅原文太という点で最終回として綺麗ではあるが、もし出演を断られたらどうするつもりだったのか

他の回なら代役を立てるという方法もあるだろうが、菅原文太である。叩き上げのベテラン刑事役である。代役などあり得ない。では役者の格を落とせば良いではないか。いやいや最終回である。菅原レベルの役者でなければ意味がない。「最後のあいさつ」は菅原文太ありきの企画だったはずなのだ。

その場合、「最後のあいさつ」とは別の最終回を用意しておく必要があるが、それが 「さよなら、DJ」だったのではないか。当時既にトップ女優の地位を築いていた桃井かおりであれば格も申し分ない。男性犯人での最終回候補が「最後のあいさつ」、女性犯人でのそれが「さよなら、DJ」だったというわけである。

3.「最終回こうあるべし」というこだわりのなさ

「さよなら、DJ」の内容には最終回を感じさせる要素がないじゃないか、という反論もあろう。しかし考えてほしいのだが、1st seasonにはそもそも初回にだって初回を感じさせる要素がない。「死者からの伝言」と「殺しのファックス」を「制作後」天秤にかけた結果前者が初回に当てられたというだけなのである。

『古畑任三郎』というドラマには、物語の「内容」として初回はこうあるべし、最終回はこうあるべし、といったこだわりがそもそもない。それがあるのは、シリーズ初回である「死者からの伝言」への呼応を意識して制作された、シリーズ最終回である「ラスト・ダンス」くらいであろう。

「死者からの伝言」に呼応する「ラスト・ダンス」を最終回に据えることでシリーズの首尾が整ったわけだが、面白いのは、「死者からの伝言」が初回になったのは偶然だったという点である。対抗馬「殺しのファックス」が初回になっていたら、最終回は 「ラスト・ダンス」にはならなかったかもしれない。

つまり、「女性犯人に始まり女性犯人に終わる」様式美は「死者からの伝言」が初回だったからこそのものであり、「殺しのファックス」が初回だったとしたら、別の様式美が追求されたように思うのである。具体的に想像はできない(少なくとも「今、甦る死」エンドはないだろう)が、非常に興味深い。

もっとも、三谷幸喜の小石川ちなみへの思い入れを考えると、「死者からの伝言」が初回でなかったとしても、その後ちなみが無罪になり、結婚し、アトランタに移り住むという裏物語は展開されたかもしれず、そうなると結局、「ラスト・ダンス」が最終回という線に変わりはなかったのかもしれないが。

4.まとめ

話が逸れてしまったので本筋に戻してまとめると、

  1. サブタイトルの「さよなら」

  2. 「最後のあいさつ」実現の不確実性

  3. 桃井かおりという女優の格

  4. 「最終回こうあるべし」というこだわりのなさ

これらから、「「さよなら、DJ」1st season最終回候補説」を提唱しておきたかったのである。

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