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風呂掃除5時間戦争

昨年、仕事の都合で一人暮らしを始めた。築30年ほどの古めのアパートだ。リフォームしているので見た目は真新しいが、それなりの歴史を重ねていることになる。

前の住人が会社の同期で(会社が12日後に異動しろというめちゃくちゃな辞令を出してきたので、引っ越し先を探す余裕がなかった)、きれいだがお風呂に虫が出るという話を聞いていた。

「契約している清掃業者は、前の住人の家具が残っていると入れられないんですよ」という総務部を「じゃあ別の業者を呼べば良いやろがい!」と脅して(厳密にいうと、脅したのは私ではなく、会社の辞令にともなって私があまりにひどい扱いを受けていることに憤慨した周りの方たち)、ダスキンをやとった。

総務部は「お金は払いますが、ダスキンとの交渉はすべてそちらでやってくださいね」といってきたので、ダスキンとのやりとりはすべて私がした。

ダスキンはお風呂もきれいにみがいてくれた。これで虫もよりつかなくなるだろうと思っていたのだが、住み始めてその考えが甘いことを知った。

お風呂場に入ると、鈴虫のすごい小さいバージョンみたいなやつが数匹いる。当然、鈴虫の子どもではない。チョウバエだ。

いやだなあ、と思って殺虫剤で駆除してお風呂に入った。

次の日、お風呂に入るとチョウバエがいた。昨日より増えている。殺虫剤で倒してお風呂に入った。

そんなことがしばらく続いた。

当時季節は冬だった。やがて春がやってきて、大人しかったチョウバエたちの活動が盛んになってきた。

ある日、お風呂場に入ると壁に点々と黒いつぶがついていた。チョウバエだ。10匹くらいいる。

(うひゃあまいった、こりゃたまらん!)

昔話のこらしめられた鬼みたいな台詞を心の中でつぶやき、殺虫剤を噴霧してお風呂の戸を閉め、全滅させてから入った。

次の日、お風呂の戸を開けると昨日と同じ光景が目に入った。

(あれ、もしかしてチョウバエって外から入ってくるんじゃなくて、お風呂場で繁殖してるのかな?)

当時の私はオッペケペーだったので(今もだけど)、お風呂場でチョウバエが増えているという発想がなかった。どこかから侵入してきていると思ったのだ。

取りあえず殺虫剤を噴霧して戸を閉め、5分後にまた開ける。

床には死骸が転がっていたが、壁にとまっているチョウバエの数は増えていた。

(くそッ!どこから湧いてきた、コイツらッ!?)

ゾンビ映画の主人公みたいな台詞を心の中でつぶやき、また殺虫剤で全滅させた。

冗長になるのでこの先はサクッとまとめるが、この流れを3回繰り返した。

倒しても倒しても、開けるたびに10匹は生きているチョウバエがいた。

増えるペースが早すぎて、殺虫剤で倒すスピードと増えるスピードが同じくらいになっていたのだ。

RPGだったらここで無限にレベル上げできそうだ。『引きこもりニートがお風呂で虫を倒し続けてたらレベルMAXになっていました』というなろう小説の冒頭のシーンみたいだな、と思った。

あいにく私は引きこもりニートではないし、チョウバエを倒したくらいでは経験値は手に入らないし、引きこもりニートはそう簡単に人生逆転できない。

(前の住人はこんな環境でお風呂に入っていたのか、信じられない)

私は深夜のアパートの風呂場で一人静かにブチ切れた。

(おのれ見ておけ、次に会った時が貴様らの最期だ)

ここまで放置しておいて信じてもらえないかもしれないが、私は潔癖症かつ虫嫌いの傾向がある。

具体的には、自分のアパートではスリッパを脱がないようにしているし(素足は床が汚れるので)、髪の毛一本でも見つけたら拾うし、夏場はゴキブリを見たことがないのに予防でゴキブリホイホイを複数設置した。

だから、今まで茶化して書いてきたが、内心は穏やかではなかった。

チョウバエは不倶戴天の敵である。私が死ぬか、チョウバエが死ぬかだ。

仕事の帰り、武器を買いにスーパーへ走った。チョウバエについて調べ、使えそうなものをそろえた。

チョウバエが家で繁殖することすら知らなかった私だが、調べた結果、スカム(泥状の汚れ)の中に卵を産みそこから増えることが分かった。

つまり、お風呂のどこかに大量の虫の卵を含んだスカムがあるということだ。今この文章を書いているだけでも背筋がオゾゾッとなる。私の名誉のために書いておくが、私は汚いものは大嫌いだ。そんなものを許してはおけない。

仕事から帰ってきた私は、会社のカバンを放り出し、お風呂場に急いだ。幸い今日は金曜日だ。夜10時をまわっていたが、時間はいくらでもある。

いつも通り殺虫剤でチョウバエを倒し、お風呂に入る。どこからともなく新しいチョウバエが現れる。今日も無限湧き状態だ。

私はお風呂の戸を閉める。

(良いぜ……、俺と貴様ら、生き残った方がこの戸を開けて外へ出られる――これが最後の戦いだ!)

RPGの宿命のライバルとのラストバトルみたいな台詞を心の中でつぶやいた。

まずはお風呂場全体をシャワーで流し、ブラシでこすっていく普通の掃除をすませた。どうせこれから汚れを徹底的に洗い出すので意味はないが、何となくやっておきたかった。

続けて、お風呂のエプロンを外す。

黒カビが繁殖していて汚いのは汚いが、チョウバエ繁殖の原因ではなさそうだ。もっと探っていくことにする。

アパートのお風呂は、浴室にダイレクトに風呂桶をおくタイプだ。つまり、想像したくないが、風呂桶と壁の隙間は黄泉の国みたいになっている可能性がある。チョウバエがいなかったら気づかずにすんだかもしれない。

風呂桶は何かで固定されているらしく、動かなかった。これを動かすとリフォーム業者レベルの作業になってしまうので、さすがに移動はあきらめた。

ただ、こんなこともあろうかとパイプ洗浄剤を買ってきた。風呂桶と壁の隙間にパイプ洗浄剤をたらす。これで、隙間の汚れがとけて排水口の方に流れてくるはずだ。

しばらく放置して、その間にエプロンとエプロンがない状態の風呂桶をみがく。この日のために、使い捨てるつもりで新しいブラシと洗剤とカビ取り剤を買ってきた。1日でボトル全部使い果たす覚悟だった。

体の汚れをきれいにするお風呂場が汚れているなんてナンセンスだし許せない。我が身が滅び、ブラシが折れ、洗剤が尽きようとも不退転の決意である。

エプロンをきれいにしたあとは、風呂桶と壁の隙間にシャワーをした。私の考えがあっていれば、パイプ洗浄剤でとけた汚れが排水口へ流れてくるはずだ。

考えは的中した。排水口の方に、黒い泥のようものが流されてくる。いわゆるスカムだ。

排水口の周りにみるみるうちにスカムがたまり、干潟みたいになっていく。

完全に見た目が泥で臭いもないが、冷静に考えたら地獄絵図だ。

これは1、2年でたまる量ではない。今回のダスキン含め、住民が代わる時には何度も清掃業者が入っただろうが、今まで誰もこんな奥地までは掃除してこなかったのではないか。

お風呂の設備はそこそこ新しいので、まさか築30年の間ずっとというわけではないだろうが、ずっと閉じられていたパンドラの匣を私が開けてしまったのではないか。

だが、開けていないにも関わらずパンドラの匣からは災厄(チョウバエ)がもれ出て、もはやおさえきれなくなっている。

私がパンドラの匣を開け、
災厄を打ち破ってみせる――!

パイプ洗浄剤をさらに使い、徹底的にスカムを引きずり出していく。

あえて書くが、一見ただの泥にしか見えないスカムだが、パンドラの匣からもれ出た災厄の本体といっても過言ではない存在だ。

なぜなら、スカムの正体は代々の住民の体の汚れや石鹸や髪の毛その他もろもろであり、内部に大量のチョウバエの卵を含んでいる可能性が高いからだ(この文章を書いている時にオエッとえづいてしまった)。

クトゥルフ神話の手記でも書いている気分だ。だが私は正気を保たなくてはならない。

徹底的に殲滅するつもりだったので、パイプ洗浄剤をすべて使い切った。

スカムは排水口に流したら間違いなくつまる量たまっていた。プラスチックのスプーンですくって袋に入れていく。

信じられないかもしれないが、小さめのコンビニ袋がいっぱいになった。

きつくしばって、屋外に出しておく。今回使ったブラシや、空になったボトルたちもすべて外に追い出した。そのあと、30分かけて体をよく洗った。お風呂から出た時、時間は午前の3時をまわっていた。

それ以来、チョウバエはいなくなった。少しずつ減っていくのかな、と思いきや、その日を境に本当に1匹も見なくなった。

やはり、あのスカムから無限に誕生していたのだ。異世界を救ってきた勇者の気分だった。お風呂が世界のすべてだとしたら私は英雄だ(←自分で書いていて意味不明)。

他人から見たら大したことないだろうが、私は大変な思いをしたのでいつか絶対書いてやる、と前から思っていたので文章にできて良かった。

人知れず世界(お風呂)を救った名もなき勇者の手記として、この文章を読んでいただければ幸いである。

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