見出し画像

【反省文】一人旅を楽しめる人、楽しめない人

※下品な例え話が登場するので伏せ字を多用しています。

「お前さあ、一人旅なんてさみしくないの?」

少し前の話だが、会社の飲み会の時、偉い方にそう聞かれたことがある。

「さみしい――と思ったことはないですね」

「夜飯とかどうすんだよ、一人で食べるのかよ」

「一人ですね」

「誰かと行く方が良いに決まっているのに何で一人なんだよ。お前は自分さえ良ければ良いと思っている自分勝手なやつだ。お前はオ○○ーをしているだけのやつだ」

「みんなで行くと気を使って疲れてしまうので――」

ここで会社の先輩が、私と偉い方の間に割りこんで話を終わらせた。

「にんふぇあ君はね、一人の旅行が好きなんですよ、そういう人は例えば、他の人と旅行に行って現地解散して夜だけ一緒に食事するとかすれば、さみしくないかもしれないですね!」

…………。

翌日、案の定私は先輩からしかられた。

「相手をムキにならせてどうするんだよ。『一人旅も好きですがさみしいと感じる時もあるので今度は誰かと行きたいですね』とか話を合わせれば良いだろ。頼むぞ、本当に――」

正論である。私はインターネット寄りの人間なので、自分の意見をツイッターに書きこむノリで言いたいことだけを飲み会の場でしゃべってしまった。

ツイッターであれば、それに同意してくれる人がいいねやリツイートをしてくれるが、会社の飲み会はツイッターではない。

偉い方が何か発言した時の返事は「さしすせそ(さすが、しらなったです、すごい、センスある、そうなんですか)」を意識する必要がある。

だが、改めて私の発言を見返してもらいたい。嫌いなお酒を飲んで酔っ払ってしまって完全に上の空になっており、ダメダメな返事しかできていない。

何がダメダメかと言うと、偉い方を喜ばせる要素がなくて、部下としてまったくかわいくないのである。「私はさみしいです。そのことに気づかせてくれてありがとうございます」というニュアンスの返事を返せばなごやかにすごせたのに、今思い返すと、私の返事は客観的に見ても社会人とは思えない。

醜態をさらした会社の飲み会ではあったが、偉い方の発言により私は一人旅を楽しめる人と楽しめない人の違いを理解することができた。

私は一人旅が好きだし、私のSNSの知り合いは一人旅をしていたり、一人旅に肯定的な方で構成されていたため、一人旅に否定的な人の心理がよく分かっていなかったのだ。

話は変わるが、偉い方は休みの日、会社の部下や同僚と野球観戦へ行くことがある。

ここで、偉い方の「一人はつまらない」「一人で楽しむのは自分勝手なオ○○ー」という発言が重要になってくると私は考えている。

一人で楽しくなるのがオ○○ーだとしたら、相手と息を合わせて一緒に楽しくなるのはセッ○○だ。

偉い方は、会社の部下や仲間と同じ楽しい空間を共有し、仲間や部下が楽しんでいるのを見て、今この瞬間は楽しいのだと自覚し、自分も楽しくなるというセッ○○的な楽しみ方をしているのだと思う。

逆にその偉い方は、「楽しい」を共有する相手が周りにいないと、今が楽しいのか楽しくないのか分からず、楽しくなくなってしまうのではないか。セッ○○中に相手が何の反応も示してくれないと、不安になって気持ちいいどころではなくなるように。

そのため、逆に一人で気持ち良くなることを「自分勝手なオ○○ー」と形容し批判したのだろう。

それに対し私は、楽しいことが起こるだけで「あ、今楽しい」と思う。その時周りのことは気にしていない。それは確かに、自己完結しているオ○○ーだ。

一方で私は自意識過剰な性格なので、周りに誰かいるとそちらに気を取られて楽しさが減少してしまう。

一人だと好きに気持ちよくなれるが、相手がいると(自分だけ楽しんでいちゃいけない、相手も楽しませてあげなきゃ、でもこれはあまりしたくないな、えっと、じゃあ私はどうすればいいんだ、そもそも今相手は楽しいのかな)と童○のセッ○○のように緊張してしまって、もう気持ちいいどころの話ではなくなってしまうのだ。

ここが、偉い方の発言と私の回答のズレの理由だったのではないか。

一言でまとめると、偉い方はセッ○○の話をしているのに私はオ○○ーの話をしているので、一向に話がかみ合っていなかったのだ。偉い方はそこを指して「自分しか楽しまないなんて、お前のしていることは自分勝手なオ○○ーだ」と言っていたのだろう。

この度はセッ○○の話をオ○○ーの話と勘違いしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。オ○○ーだけでなくセッ○○も楽しめるように精進いたしますので、何卒ご容赦いただけますよう、よろしくお願い申しあげます。

反省文は以上です。

#旅行 #一人旅 #社畜 #伏せ字 #反省文 #下品

ご支援頂けますと励みになります!