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バリ島摩訶不思議

バリ島で舞踊を習っている友達の大先生が亡くなられたということで
友達が参列したお葬式の様子を見せてもらいました。
(動画は友達が実際に葬儀に参列して撮ったものをお借りしました)
動画を見ながら 思考はバリ島のあの喧騒の中に戻って
様々なことが蘇ってきたので 記してみることにしました。



この動画
舞踊のとても有名な大先生のお葬式ということで
多くのお弟子さん、そして村の人々が参列した
とても規模の大きな葬式であった。
(王族でもないのに、この規模はあり得ないと地元の人も言うくらい。)

しかしながらどれほどの偉人、有名人であったとしても
こんな風に
一般の道路を占め、車も通行止めにして
葬式の列が練り歩くという光景は 日本では絶対にあり得ない
(背の高い神輿のようなものが交差点に差し掛かると
 電線に引っかからないようにと、電線を持ち上げる役までいるのだから。
 日本では電線に勝手に触ったら、絶対に捕まる。)

バリ島に住んでいると
遠くの方から ガムランの生演奏の音が聞こえてくるなと思っていると
そのうち 随分近くにきて、どうやら海の方に向かって
葬式の列が降りて行ってるんだな、と音の流れだけで
街の中で 何が行われているかわかるようなことが 度々起こる。

そういう時には、もちろん、多くの参列者がその神輿のような
棺桶を乗せた大きな飾りの後をついて
ゾロゾロと移動するし
ガムラン隊や、舞踊の列も続くし
さらに交差点に入ると 一段と音も大きく
飾りを大きく揺らしたり 回転させたりする ものだから
その間 車は ひたすらゆっくりと 列の最後尾について徐行するか
諦めて 他の道を行くことになる。
車だけでなく小さなバイクであろうとも 参列の人々を追い越すようなことはない。
誰もクラクションを鳴らそうとしない。
参列の人々の波が通り過ぎるのをただひたすら待つことで
仕事に遅刻したり 約束の予定通りに到着しないことも
当たり前のように起きる。

そういった風習を見ていると感じることは
文明よりも先に 風習があった
ということだ。

椰子の木しか生えてないような
藁葺きの家しか立ち並んでなかった
遠い昔のバリ島の時代から
風習は存在
その当時から同じように 遺人を弔い
舗装されていない道を 歩き
海に向かって 長い行列を作った。

先に風習あり
車や信号機などの文明が入ってきたとしても
その風習に何の影響も及ぼすことはない。

こんな文明の恩恵を享受しながら生きている世代においても
人々の信仰 生き方思考の指針 振る舞い
そういったものは揺るぎなく脈々と受け継がれている。

日本人も
かつて村から死者が出ると
同じように行列を作り 野辺送りをしたものだった。

だが、いざ、この文明の時代に
野辺送りをするからと 道を塞ぎ
通行を止めることが まかり通るだろうか?
いや、そんなこと 今の日本では絶対に許されないだろう

私はそこで ふと 問うのだ。

この違いは どこから生じるのか。

多分ここには 
そこに住む人々が どれだけ 
目に見えないものを 悼み慈しみ畏れているか
という 違いがあるのではないか。



バリ島での不思議体験

この話は 私自身ではなく実際には
インドネシア人の夫から直接聞き知った体験に基づくことを
そのまま記す。

私の旦那 ヘルミは いつものように
仲間の集う ワルン(大衆食堂)で 昼飯を食べようと
机を囲んで腰をかけている。

友達と自分を入れて男性三人、女性一人で
机を囲んでいたのだが
それまで楽しく ジュースを飲んでいたその女性が
急に
うううううぅぅぅぅ
と苦しそうに唸り声を上げたのだ。
そして目を大きく見開き 睨みつけるようにしながら
大きな口を横に広げて笑うようにして
叫び声を上げ続けている。

そして急に地面をのたうち回り、苦しそうにゴロゴロ
転がり始めた。

やばい! 悪い気に 乗り移られた!」と
友達の一人がいい、暴れる彼女を押さえつけながら
地元の仲間に
日本でいう「霊媒師」とか「祭司」とか
そういう存在の人を連れてくるように頼む。

その時 その場所に もしも私が居たとしたら
明らかに狼狽し 何事が起こっているのかわからないまま
オタオタと 何をすることもできないはずだ。
だが、この島、バリ島だけに限らず
インドネシアの至る所で
このような事象が 「当たり前に起こりうること」として
認知されているからこそ
「霊媒師」あるいは「祭司」を呼びに行くこと、
が 普通にできているのだ。
(彼らが普段どこにいるか 地元の人は知っている)

呼ばれた「霊媒師」のような存在の
その地域を担う 宗教者のような男性が慌てて駆けつけ
彼女を一眼見るなり
黒い鶏を持ってきなさい」と命じた。

驚くべきことに トサカ、クチバシ、足、に至るまで 
全身真っ黒な 鶏が 存在するのだ。
かつてその鶏は この除霊のためだけに 飼育され、人間はそれを
食することがなかったと言うことだ。

どこからかその黒い鶏を手に入れて 持ってきたものを
霊媒師、祭司、は 唸り声をあげ 暴れる彼女に 
生きたまま 手渡したのだ。

それを見てとった彼女は
なんと その全身 真っ黒の鶏を
鷲掴みにし、鶏の首の部分に ガブリと噛みつき
そのまま貪るように 食い始めた。
口の周り だけでなく もう顔中を
鶏の血で真っ赤に染めて。

そして霊媒師は叫ぶ。
「今 この鶏を食べたのだから もう気が済んだであろう!
彼女の肉体から 出ていけ!」
そして彼女を バン!と叩いた。

倒れ込んだ彼女は
その後 目を覚ます。

「え?私はここで今何をしていた?
なぜこの血は?何?一体どうしたの?」

キョトンとした彼女は 己の血にまみれた手
散乱した鶏の黒い羽
噛みつかれて死に絶えた鶏を見て 驚いたと言うことだった。

そのような
摩訶不思議な出来事が
ある意味 日常と同化しながら
当たり前のようにして起こりうる 島。

風習、慣習、昔のおばあの言い伝え、
そういったものから すっかり絶縁してしまった
私たちの生活の中では
きっと あんな風に 葬式の列で
車を止めてしまうことなんて できやしない。

人々がまるで命をかけるかのようにして
大切に守り続けている
言い伝え 慣習 振る舞い 
そういったものと
摩訶不思議な出来事 というのは
同じ 次元に位置する。

目に映らないものを
目に映るものと同じくらい
当たり前に 受け入れて
生きている。

目に映らないものを
「そんなことなどあり得ないから!」と
存在を否定して
鼻で笑うような人は
誰一人として いない。


あの盛大な 葬式の 景色を見た時
私は ヘルミから 伝えられたあの摩訶不思議な体験を
思い出して 身震いしたのだった。

大音量のガムランの響きに 
身体全体を包まれて
今自分が 葬儀の列に参列していたような気がした。






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