不戦敗の日

今日は、社労士試験の日。
一年間、この日に向けて勉強してきた。
より正確に言えば、9回目の受験のはずだった。
しかし、今日、私は試験会場には行かない。
これまでいくら勉強しても、力がつかなかったこと。
勉強に対して、必死になれなかったこと。
そろそろ潮時か。
結果に関わらず、今回で最後にしようか。
そんなことを少し前から考えてはいた。
それでも、申し込んだ試験を受けないなんてことは考えもしなかった。

しかし、今月、思いもよらないことが相次いで起こった。
ここにそれを書くと、身バレに繋がりかねないので、今は書くのを控える。数年後、全てを明らかにできるようになったら改めて振り返るかもしれないが、今はまだ、周囲との関係を考えておかねばならないから。
簡単に言えば、普通に受験できるだけの体調が整っていないということ。
より正確に言えば、私は、今、外出制限がかけられているわけではないのだが、それでも、周囲に懸念を与えかねない症状が表出している。
結果的に、これらが、自主的に撤退を決めた決定打となった。
二年前の試験の日かな。
受験会場でエスカレーターに乗った際、前の人と二段分間隔を開けろとの指示を聞き逃し、一段分しか開けなかったときのこと。
私の前にいた人が徐ろに振り返り、マスク越しに何か私に向かって呟いていたが、言葉が不明瞭で何を言っているのかよく聞こえなかった。
先方の要求を無視した形の私に対し、業を煮やしたその人は、「なぜ言うこと聞かないのかしら」とでも言ったのだろう。
怒りをアピールしてエスカレーターを上りきり、足早に去っていった。
その姿を見て、初めて、私は、間隔のことを咎められていたのだと気が付いた。
受験会場はピリピリしている。
他の受験生の不審、警戒を招くようなら、たとえ、実際には、そのおそれはなくても、会場にこの身を置くべきではない。
よしんば、断固たる決意で会場に臨んだとして、「あの人〇〇」と周囲から苦情が試験監督に寄せられることは、人として本意ではない。
かくして、私は今日の受験を取りやめることとした。
先週の今頃はまだ受ける気でいた。
何とか咳が治まるようにと、薬も処方してもらって。
でもね。
出るんだ、残念ながら。咳が。
これ、コロナ禍以前なら、さして問題にはならなかっただろうけどね。今の日本では、禁忌だ。
勢い余って書いてしまった。
ここまで書けば、粗方分かってしまう。
まあいい。
そんなこんなで、私は、不戦敗を決めた。
でも、外出はするよ、今日。
咳が出るから外に出てはいけないとなったら、私は、今後、外に出られない。
これ、何かが感染る咳ではないから。
それでも、止まらないんだよ。
そんな内情は周囲には分からないから、いつ苦情をぶつけられるかも分からない。
見ず知らずの人からね。
以前、通勤電車の中で、鼻をすすったか何かした時、私の前にいた乗客が、後ろを振り返って、きっと私を睨みつけたことがあった。
それも、仕方ないね。
全て、逆の立場になれば、相手の気持も分からぬでもない。
それでも、睨みつけることはしないかな、私は。
この一ヶ月、色んなことがあった。
今の段階で全てをここに書くことはできないが、私を取り巻く状況を一変させる、仕事、職業も、もしかしたら、生活の拠点も、全てガラリと変える、そんな決意をさせるに十分な出来事が相次いだ。
そういう時、まるで、ドミノ倒しやオセロのように、がらっと変わるんだよね。
ひとたび、もういいやってきっかけができると。
私は、今年、大きな決断をする。
社労士試験受験撤退などより、大きな決断を。
それにより、私の生活は一変する。
収入を失い、非常に不安定なものとなるだろう。
このコロナ禍に、勝算も見えていないのに、ただ、今直面する苦痛、苦悩から逃れんとして生活をリセットする。
生きていかねばならぬという現実は、これから先も何一つ変わらないのに。
どうやって生きていくか。
それは、これから考える。
こんな甘い見通しで、全てを放り出す。
こうやって、死ぬまでの数十年、今年の決断を心底後悔しながら、泥を啜って生きていくことになるのかもしれない。
正直、怖い。
怖かったから、これまで、この安定を捨てられなかった。
でも、それももう終わり。
ここらで、もう一度、人生、やり直そう。
他人が聞けば、アホかと笑うことだろう。
甘いとそしられるとも思う。
でも、自分の人生、最後は、自分で責任取るしかないからね。
ならば、私は、何者でもない、ただの私に戻ろうと思う。
怖いよ、怖い。
これからどうやって生きていこうかと。
これまで以上に慎ましく生きていかねばならないね。
いや、その発想自体が間違っているのかもしれない。
どうかな。
今はまだ、考えがまとまらない。

次の道、生きる手段を決めてから、今の生活を変える。
これまではそんなふうに思ってきた。
結果、いたずらに時を失うだけで、何も変えられなかった。
今回、次の保障は何もない。
何もないのに、退路を断つ。
自殺死亡率も上昇に転じた今の日本で、自ら定職を捨てる。
生活の拠り所を失った私は、果たして、その時、生きていられるのかな。
先のことは何も分からない。

どこで道を誤ったのかね。
かといって、そんなふうに、過去を振り返っても意味ないかな。
まるでペパーミント・キャンディーみたいだ。
過去は変えられない。
これから先、どうやって生きていくか。
それだけを考えよう。

本当ならば、やりたいこと、たくさんあったはずだ。

生きている間に、自転車で世界一周したい。
そんなこと、若い頃に、人生の目標として夢見たものだよね。
いつしか、色褪せていった。
この夢だって、自由にさえなれば、本当ならば、実現に向けて動き出すはずのもの。

何故やらないの。

本当は、何がやりたかったの。
私のやりたいことは、何なの。

そこが見えないから、無気力なのだろう。
頑張れないのだろう。

私がやらねばならぬことは何なのだろうって。

情熱を傾けることができるもの。
寝食忘れて打ち込めるもの。

それさえあれば、人生、迷うことはそんなにない。

と思う。

さて、現実逃避の繰言もここらで筆を置こう。
今日一日、どうやって過ごそうかな。
何食べよう。
お金、節約しないと。
来月から、食費もまたかかるようになるしね。

世知辛い世の中です。





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