追憶の囚人


Ⅰ 紫のヒヤシンス:許してください

囚人はずっと許しを乞い続けた 虚しさを紛らわすために

 私はどうやら過去に縛られ続ける運命のようだ。あれから数年経とうとしている今でさえも、私の時間はあの日から変わらない。時計の針は進んでいない。

いつになったら、あの日の悲しみから解き放たれるのだろう。

 いや、私は悲しみにずっと縛られていたいのかもしれない。哀しみに囚われている間、私は私を戒めていられる。私は私を罰することができる。

 いつかだったか、私は己を罰することが天の計らいといった。ああ、確かに天の計らいだ。

しかし、それに終わりなど存在していなかった。幾千幾万の月日が経とうとも、終わりは訪れなかった。苦しい、辛い、虚しい、それらが私の胸の中をぐるぐると駆け回る。

 ああ、誰か私を許してくれ。私は私自身を許すことはできない。だが誰かこの私を許し、終わりのない運命の輪から連れ出してほしい。

Ⅱ 黄色いカーネーション:拒絶

  無知であったが故の虚無 知り過ぎてしまったが故の拒絶

 あの時は良かった、私は私のままでいる事が出来た。そう、私はなんでも知りたかった。「幸せ」やあの人の笑顔の為になることはなんでも知りたかった。だから調べ尽くした。

 そして私は多くの知識を手に入れた。その引き換えに多くのものを失った。自分自身の心。他人を信じる心。多くの知識が私を疑心暗鬼にさせ、あの人の動作ひとつひとつに苦しむことになった。

 ああ、実に愚かだ、笑うがいい。これは自身の探究の心を抑えきれなかった罰だ。

 そして、人を信じきることができなくなってしまった私の弱い心が齎した愚かな結末。

 大切に思っていたはずなのに、得た知識が私をそうさせたのかあの人の想いを突き放し、遠ざけ、逃げ回った。しかし、私の心はあの人を求めていた。

 だがそんな矛盾を抱えた人間が普通でいられるはずもなかった。自分自身の心を閉じ込め、顔色だけを伺い、突き放し続け逃げ回った末に、私は自ら交わしたはずの約束を忘れてしまっていた。

 私は全てを拒絶していた。愛することも愛されることも全て。心はずっと求めていたのに。こうして失うのだ、なにもかもを。

Ⅲ アネモネ:見捨てられる

  始まりは常に必然であり 別れは常に突然で虚しい

 あの日、私に残されたのは「誰よりも優しかった」という無慈悲な言葉だった。その言葉は私をしがらみに囲み込んだ。

 「優しい」とは何だ? 一体、何が優しいのか? 優しかったのならばなぜ私を捨てた? 

 私はあの日以来、ずっと「優しさ」とは何なのか、それをずっと探し求めていた。「自分がされて嫌なことはしない」、「相手の気持ちを思いやる」。そんな道徳的な「優しさ」ではない。私が求めたのはその本質。「優しさ」という漠然としたものの真実の姿。

 しかし、そんなものは見つかるはずもなかった。人により「優しさ」の定義は異なるのだから。でも、変わらないモノはあった。

そう、「優しさ」とは相手にとって都合の良い事が「優しさ」なのだ。

自分に都合のいいことをしてくれればそれはその人にとっての「優しさ」になる。

 私が今まで振りまいていた「優しさ」とは「独りよがりの優しさ」だった。あの人の為と思い行った行為も、すべて独りよがり。あの人にとって都合のいいことでなければそれは本当の「優しさ」ではない。

 ああ、誰も「独りよがりの優しさ」など欲しくはない。欲しいはずもない。気持ちの押し付け、精神的束縛、目障りな優しさ。そんなモノを振りまく人を愛するはずもない。

「だった」という過去形ならば、聞きたくはなかった。

Ⅳ ブドウ:酔いと狂気

  心の媚薬に溺れられずに 矛先のない怒りを虚空に振りまく

 どうしてそんなに笑っていることができるのか。かつてはその心も悲しみに沈み、煮えたぎるほどの怒りを、震えるほどの寂しさを抱えていたはずなのに。なぜそんなにも輝いていられる? 私には理解できない。私にはその笑顔さえも虚しく見える。  

 なぜ再び失うと恐れない? なぜまた人を信用出来る? なぜ同じ目に合おうとする? なぜ自ら苦しみに行く? そして一時の幸せというまやかしを手に入れ、振り回され再び失うのか? 

 滑稽だな、辛く惨めな思い出を手放して過去を乗り越えたつもりなのか? 思い出を塗り替えることができたつもりなのか? 過去の幻影はいつまでもお前達を追いかける。幸せになる度に、ふとした瞬間襲いかかる。

その笑顔を歪めてしまいたい。私と同じ苦しみで心を可笑しくさせてやりたい。その気持ちを狂わせてやりたい。今すぐにでも壊したい。

 だが、その輝きを決して失くすな。その手から輝きはすり抜け落ちてしまうこともあるだろう。だが、笑顔を取り戻すことが出来たその手なら、再びその輝きを拾い上げることが出来るだろう。心が感じたままに行けばいい。そして悲しみ、その度に前に進め。

 前を進むことを放棄した私には、もうその生き方は出来ない。

Ⅴ ハマナス:悲しくそして美しく

  手に入れたものは虚しく 汚れる姿は美しかった

 なぜだろう、あれほどにも輝いていたものが自分の手中に納まるとそれは途端に輝きを失った。私の手がそれをそうさせたのか、それとも元から輝きなどなく、そう見えただけの幻だったのか。私には分らない。

 やはり、心にぽっかりと空いてしまった穴は何物も何者でさえ満たすことは出来なかった。ああ、虚しいさ。お前達にこの虚しさは分るまい。多くの知識を手にしてしまったが故に見えてくる本質。それを知ってなお、喜びの感情が芽生えて来るものか。

 虚しくて虚しくてたまらない。その行為も、反応も、台詞も、姿も全てだ。私の目には浅はかな情報に踊らされたマリオネットにしか映らない。情報に踊らされる人形に誰が心を動かされようか。もし、それに心動かされるのであればその者も結局は同じ、人形でしかない。ならば、心があるはずがない。私のように悲しみ、苦しむはずもない。たかが人形、私の心を理解されてたまるか。

 復讐に身を焦がし、悲しみに沈み、嫉妬に狂い、虚しさに手放したこの私の心を。

人形ごときが私の感情を理解するな、知った気になるな。私の何が分かる? 私の怒りの、悲しみの、苦しみの何が分かるという。

 同情するな、誰も私の心を完全に理解出来できない。哀れな目で私を見るな、他人の滑稽な姿を見て満足か? 励ますな、そのような軽い言葉など聞きたくない。手を差し伸べるな、どうにもならない。

 もっと深くに堕ちてしまいたい。虚無の淵よりももっと深く、もっと寂しく。そうすれば罪深い自分がもっと愛おしい。

Ⅵ ドクダミ:白い追憶

  空疎な物語、虚ろの言葉 意味は在って何も無い

 人は形あるものは認めるが、形のないものの存在を否定する。しかし、都合のいい「心」だけはその存在を認める。「愛」だの「心の繋がり」などと。

 ならばその「愛」は本物か? その「繋がり」は本当に存在しているのか? 心の媚薬がそう思い込ませているだけ。故に、幸福という快楽を何度も求める。それこそ、何度も抱く夢や理想と同じように実態はない。現に、それらを証明するものなど何処にもない。形のないものをどうやって信じる? そして都合の悪い時だけはその「存在しないもの」の存在を否定する。なんとも人間らしく、虚しい。

 お前達は存在しない幸せを追い続け、永遠を求めればいい。そして見て見ぬふりをし続けろ。悲しみから逃げ、苦しみから逃げ、そのたびに幻に縋りつくがいい。何度も同じことを繰り返せばいい。だが、お前達は永遠に気付くことはないだろう。 

 見て見ぬふりを止めないのであれば、やはりお前達には怒ることも涙を流す資格はない。自身の悲しみと向かい合うこともせず、苦しみを受け止めない、過去から目を背けることを望んだのだから。

 何度も求め、その度に破滅しろ。どうせ救いの手は差し伸べられ、苦しみの日々は忘却の彼方に消し去り、過去の破滅も今の幸福の幻に塗り替えられるのだから。

 そう、お前たちは己を貶めるのはただその時だけ。その時さえ、良ければいいのだ。皮肉なものだ。その時一瞬に生きるが故に、「ずっと」を求めても手に入らないとは。 気にするだけ無駄だ、聞き流すのは得意だろう? 

Ⅶ カキ:広大な自然の中で私を永遠に眠らせて

  歪んだ揺り籠に揺られて 心は再び眠りに着く

 空白にも等しい記憶に未だ根を張り続ける負の感情。それらはまだ心を蝕み続ける。ときめくこともない、喜ぶこともない。好きとは何だったのだろうか。今の私にはもう理解することもできない、遥か彼方の感情。

 人が嘆き、怒り、苦しんでいるのにも関わらず眩しいほどの笑顔のあの者と同じになるまいと誓ったあの日から、こうなる事は決っていたのかも知れない。私はこの感情だけは決して忘れない。

 怒りでどれほど身を焦がし、灰になろうと。悲しみの海で身を濡らし、溺死しようとも。嫉妬の衝動でこの身が傷だらけになろうとも。苦しみで何も見えなくなろうと。

 言葉にしない気持ちならば、それは無かったことと同じ。その気持ちは初めから存在はしていなかったのだ。気持ちとは言葉にすることで初めてその意味を持つ。ならばきっと、私の燻る怒りも、激しい悲しみも、荒れ狂う嫉妬も存在などしていなかったのだろうか。

 心は死に、帰るべき場所に還った。再びこの何もない荒野の中で眠ろう。今度は私自身の揺り籠の中で、私は私自身を癒し続ける。虚しさの棘に絡まれ、過去の鎖に繋がれ、歪んだ繭のなかで。

 言葉にしなかった感情は私だけのものだ。誰にも触れさせない、私だけが私を癒してやれる

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