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「性」は選ぶものではない

 文芸春秋三月号で、生物学者の長谷川真理子さんが、人間の生物的な性と性自認について生物学的に分かり易く解説している。
 
 云十年前に学校で、人間の場合、「性染色体」がXYの場合は男性、XXでは女性になると教えられた。基本的にはそれでいいのだが、それに至る過程がもう少し複雑で、時に間違いもあるらしい。
 
 要約すると・・・・受精卵は、最初はメスだが、Y染色体が存在するとオスにつくり変える過程が始まる。Y染色体上の遺伝子が活性化しオス性ホルモンの「テストステロン」が作られて受精卵をオスにつくり変える。これがすんなりいかず、Y染色体があっても何らかの原因で「テストステロン」が上手く働かないことがあり、その場合、性染色体としてはオスだが、体はメスになる。「テストステロン」は脳にも影響を与え、性自認、性的指向の決定プロセスにも関与し、各段階での曖昧さ、連続性、中間系が生じてくる。
 
 更に人間は自意識や自己認知の次元もあり、それに加えて「他人にどうみられるか」、「社会にどうみられるか」という文化の次元まである。人の性は何層にもわたる「入れ子構造」になっている。それが故にLGBTQは異常な事ではなく、大多数はならずとも、必ず生じる少数派・・・・とのこと。
 
 長谷川真理子さんの解説は、生物の性について詳細に述べられ、更に人類の歴史上での性差、性の扱いなどに至り、とても分かり易い。最後に、以下で結んでいる。
 
 「性自認」は、「体と心の不一致」という「自分が選んだわけでない、与えられた苦しい状態」を解消するためのもので、例えばレストランのメニューのように「初めから自分で選ぶこと」ではありません。「自分が生まれてくる」ことを「選べない」のと同じで、「性は選ぶものではない」のです。
 
 LGBTQは生物学的な少数派でもあるし、人間が社会生活を営む故に生じる少数派でもあるのだろう。我が身を振り返っても自分は100%無関係だとも言い難く、何らかの要素があるような気がする。

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