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神楽坂は牧場だったことを知っていますか?地名で分析するとおもしろい。

東京はなぜ「東京」と呼ばれるか知っていますか?


「東京」は漢字では「東の京」と書きます。つまり、東に作られた京(みやこ)ということです。1868年9月に「東京」と名称変更される前は「江戸」と呼ばれていました。侍が支配した江戸時代の「江戸」のことです。今の言葉で言えば、江戸時代は東京時代ということになります。

「京都」の意味を知っていますか?


一方、「京都」は漢字で「「京の都」(きょうのみやこ)」と書きます。東アジアでは古来、歴史的に「天子様の住む都」「首都」を意味する言葉として京(きょう)が使用されてきました。中国の長安城を模して794年に遷都された平安京を「京都」と呼んだ最古の文献が988年の『尾張国郡司百姓等解』と言われています。

奈良の別名を知っていますか?

なお、平安京の前には現在奈良県の平城京(710-784年)が日本の首都であり、北部にあった平安京(京都)に対して、平城京は南都と呼ばれていました。漢字では「南の都」と書きます。1181年の南都焼き討ち(平清盛の命を受けた平氏軍が、東大寺・興福寺など奈良の仏教寺院を焼討にした事件)など「南都」を使用した言葉があります。今でも奈良県に本店を置く銀行として南都銀行があります。

神楽坂は牧場だった?

神楽坂は漢字では「神、音楽、坂」と書きます。「神楽」とは日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞のことです。神楽坂は、神社で演奏された神楽が聞こえた坂であったことからその名がついたと言われています。

神楽坂の周辺には「牛込」という地名が多くあります。歌川広重の浮世絵にも描かれた江戸城の「牛込御門」、「牛込神楽坂駅」などがあります。「牛込」という地名は、「牛」が「込(GOME:多く集まる)」ということを意味します。701年の大宝令により、各地に官牧が置かれ、その一つが神楽坂周辺の牛込に置かれたためと言われます。

東京の他の地域にも「込(GOME:多く集まる)」という文字が地名に使われており、駒込(東京都豊島区)、馬込(東京都大田区)などは馬が多く集まる場所であったと言われています。漢字で駒込は「駒、込」、馬込は「馬、込」と書きます。駒も馬という意味です。

神楽坂は江戸時代よりも古くからあった

「牛込」という地名は神楽坂の歴史を語る上で重要です。1300年に、群馬県赤城山南麓(現在の前橋市大胡地区)の豪族大胡(おおご)氏(大胡彦太郎重治)が今の光照寺周辺で牛込城を築いたのが神楽坂発展のはじまりと言われるためです。江戸幕府を開いた徳川家康が江戸を建設する300年ほど前の時期です。

現在も多くの参拝者が訪れる神楽坂を代表する神社である赤城神社は大胡氏が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。なお、大胡氏は後に、牛込姓を名乗っています。

神楽坂の芸者地区は兵器庫だった?

牛込氏の時期に作られた町名に「兵庫町」があり、現在でも兵庫横丁と言われ、神楽坂を象徴する石畳の路地があります。また、兵庫横丁には幸本(ゆきもと)など神楽坂の芸者衆を呼べる高級料亭があります。「兵庫」は漢字では「兵器の倉庫」と書き、軍事物資の倉庫があった場所でした。

このように、東京、京都、奈良、神楽坂の歴史を地名で分析することでより詳しく理解することができます。外国人旅行者の皆さん、日本への旅行の際に、「東京の由来」や「神楽坂」の由来を日本人に聞いてみてください。とても驚き、その後のコミュニケーションが盛り上がることは間違いないですよ。

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