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日記 2024.5.4(土) 後悔していない。

今日も静かで晴れている。最高気温は30度。今日は思考できない感じがする。頭の中を動かすよりも体を動かすか、静かに眠るか、多分どちらかしかできなさそう。
着替えて化粧はしておく。台所には浸水しておいた玄米と小豆がある。ひとまず玄米を炊こうと思ったらしまった、お水がなかったのだった。10時過ぎたら一度外に出て買い物に行こう。

お父さんからメッセージ。お母さんが野菜の苗をたくさん買ってきて放置しているのが気になっているようだ。去年も野菜の苗たちは植えられないまま外にずっと放置されていた。一昨年はポットのまま伸びたバジルを収穫したりした。流石に見ていられなくて去年はわたしとお父さんで畑に植えたのだった。ほとんど枯れてだめだと思っていたプリンスメロンの苗はそれからぐんぐん成長してたくさんの実をつけ、私たちを大いに喜ばせてくれた。
お母さんは苗をどんどん買ってはくるものの植えることが苦手のようなのだ。いつ植えるのと聞いてもまだあれとあれをやっていないからと後回しにしようとする。お母さんの中にはたくさんのやらなきゃいけないことがあって、常にハードディスクはぱんぱん状態。自分なりの優先順位があるらしいのだが野菜にそのような言い訳は通用しないというのが理解できないみたいだ。今年の初めに枯れた玉ねぎを植える姿をみてちょっとこれはなんとか対策を考えたいと思ったのだった。(結局もちろん玉ねぎは一つも育たなかった。)
お父さんには自分は植えたいのか植えたくないのか聞いてみた。植えたくないのであればもう見てみぬふりを覚えるしかない。関わるなら最後まで関わる覚悟が必要だと思ったのだ。お父さんは植えたいと言った。ならばお母さんにいつ植えるか期限を決めてもらって(すでに枯れそうになっている苗の状況も踏まえて)、それを過ぎたら苗も持たないから植えるけど大丈夫?と交渉してみてはどうかと伝えてみた。ポイントは、期限を設定すること、お父さんが植えたいと言うことを素直に言葉にして伝えること。一度その作戦でいってみよう。

わたしにはただ愚痴を言うだけという感覚が分からない。お父さんはたぶんただちょっと愚痴を言いたかっただけなのかもしれないけれどそんなことわたしには通用しないのだ。どこか楽しくない部分があるならとことん考えてお互いが楽しくなるような道を考え試していくしかないと真剣に思っている。なにも試さないで愚痴を言うだけなんてわたしには意味がないことと思えてしまう。それならばそもそもわたしは愚痴を言わない方法をとるだろう。問題が発生するとわたしはすぐにモードが切り替わりすぐに解決へ向けて動き出す。こういう時のわたしの行動力はなかなかすごいと思う。いつでもどこでも私は面倒くさい人間なのだ。中途半端に絡むと面倒なことになっていく。

わたしのことをよく分かっている人は自ら近づいてくることはない。ちゃんと距離を取ってくる。そんな中でまいちゃんと元住人だけはそんなわたしの性格を理解した上で面白いと思って自ら近づいてきてくれるのだった。わたしに関わることで彼らにもちゃんとなにかメリットがあるのだと思う。心の底から分かり合えているというのとは違うけれど、いまあるわたしをただ認めてくれる大切な存在だ。わたしは彼らのためになんでもする覚悟がある。

10時を周り外に出た。のんびりした休日の午前中。いつまでもこんな空気が続けばいいなと思う。産直市場ものんびり。お水といわしの生姜煮を買った。新幹線代など先に準備しておこうと銀行にも寄ってから帰った。
ものすごい睡魔におそわれてお昼前に一度仮眠をとってからご飯を炊いていく。お昼ご飯は炊き立ての玄米に昨日のお味噌汁の残り。生姜煮も食べる。なんだか本当に今日は落ち着かない。YouTubeを観ていても、本を読んでもそわそわして集中できない。こんな日は出かけるのもやめにしてただ横になる方がいい気がした。今週は動き回ったりが多かったのでとことん休んでいいのだよと自分に声をかける。

ふと、こんな時無職じゃなかったらといつも思う。思いがけず働く機会を失ったことは実際ほんとうに良かったことなのではないかと思っている。わたしの楽しい時間を奪われたことについては怒っているが、一方でわたしはすぐにこれは絶対いい機会になるしして見せると意気込んでいた部分もあったのだ。悔しさややるせなさをしっかりと自分の中に取り込みエネルギーに変えて、今までやってみたいと思いつつ手をつけていなかったことを片っ端から試していくことにしたのだった。わたしの幼少期から抱えていた不安を取り除くヒントがなにかあるような気がしていた。

何にも分からないままでもただ手を動かしていくと、ひとつずつちゃんと分かってくるものだなと思う。最初の数ヶ月は実際結構つらかったと思う。何にも分からないし先も見えない。手応えもないから不安は日に日に増えていくような感じがあった。けれどただ試すことを続けていくうちに、だんだんなんにも分からなかった状態からぼんやりなにか分かりかけるような感覚が出てくる。これだけでもわたしは嬉しかった。
不安はひとつひとつ試して経験して、安心を増やすことでしかなくならないのだと思った。臆病な自分のままでは不安はいつまで経っても消えないのだ。

試してきてよかった、経験してよかった。無職になってから後悔していることは不思議なほどに、ない。無能さを自覚してすべてをありのままに受け止められるようになったからかもしれない。失敗も、うまくいったこともなにか必ず意味がある。
わたしは本当素直になった。行動しないくせになぜか理想やプライドが高くガチガチだった自分を思い出すと背中をさすってほめてあげたくなる。見栄を張らなくていいよ、そのままのあなたのままで十分素敵だよと言ってあげたい。

今日は一日眠りたいというわたしをとことん眠らせてあげよう。しっかり眠ることに満足したら、また勝手に動き出すことは分かっているから。

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