「アタリショックの嘘と誤解」の嘘と誤解(その2)

2020年9月9日にウェブリブログ「任天堂雑学Blog」に投稿した記事の転載です。

以下転載開始

アタリショックの嘘と誤解

2007年頃に本ブログにおいて上記のエントリに対して反論したのですが、ブログ主の方が別の方が運営するブログに「いずれ回答する」という趣旨の発言を残したまま、結局、今日に至るまで回答はありませんでした。

とあるブログの公開停止に思うこと

私はその間に保有していた2,000点近くのゲーム業界関係資料の整理を兼ねて、アタリショックについてまとめている内に10万文字を超える原稿が出来上がってしまいました。折角なのでこれは電子出版することにし、本ブログではダイジェスト版を紹介させていただくことにします。

まずはアタリショック当時の我が国における認識について。

上記ブログの根幹をなす主張がアタリ社と任天堂が法廷闘争に発展するまで、米国ゲーム市場が崩壊したという認識すらなかったというものですが、これは完全に誤りです。

1983年8月5日、東京兜町の日本証券アナリスト協会における講演で当時の任天堂社長、故山内溥氏が以下のような発言を残しているからです。

証券アナリストジャーナル1983年9月号より

大雑把に市場崩壊の原因を(1)ハード性能の陳腐化(2)アーケードゲームのタイトルの劣化移植(3)サードパーティーよる粗製乱造を上げています。今日になって判明したとされる上記ブログの主張をファミコン発売(1983年7月)直後にすでに語っていたわけです。

さらに1984年に山内氏は「米国のように粗悪なソフトが出回り消費者に不信感をもたれないよう、ソフトハウスに注文している」という趣旨の発言もしています。

週刊ダイヤモンド1984年12月15日号より

後に一部サードパーティー関係者の方が発言するようになった以下のような見解も誤りということになります。

当時は、日本経済新聞などがリアルタイムで米国市場の状況を報道していたため、山内氏のような認識があっても不思議ではないのです。

なお、ホームコンピュータに移行したという説ですが、これは希望的な観測としてあっただけで、1984年後半にはホームコンピュータ市場も崩壊しています。

ただ、私は当初、アタリショックという言葉には何の意味もないと思っていましたが、調査していくうちにかなり重大な意味を持っていることに気づきました。

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