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人をダメにする私

これと言って"得意なこと"はないと思う。
不器用だし飽き性だし、何をやっても「まあできなくはないけど上手でもない」みたいな中途半端の分類に入る。

でも、他人からよく言われることがある。
「人をダメにするのがうまいよね」と。

昔からなんとなく、黙って何かを求めている人の"何か"がわかった。
母は探し物が多い人で、キョロキョロとしていることが多かった。
私はそんな時、「テレビの音が大きい」「母が嫌いな芸能人が出ている」ことを察知すればリモコンを、
「母がティッシュの箱を片手に持っている」「お菓子の袋を開けた」と気づけばゴミ箱を差し出していた。

家の外でも、食事をしている時に友人の好き嫌いは箸の動きでわかったし、
学校の先生が不機嫌になっていく過程もすぐに察知して逃げていた。

そんな私は大人になってもそのまま、いやむしろパワーアップしている。
会話の途中に言葉を詰まらせる友人の言いたいことがわかって先回りするし、
仕事で上司が何を求めているかもすぐわかって用意するようになった。想定している通りに上司が動かない可能性も鑑みて何通りかリスクヘッジも用意を心がけてた。

そんな先回りや察することを「あたりまえ」だと思っていた私は、結果的に「先回りしすぎて人の思考(行動)を奪う人」になった。
これを周りの人が「人をダメにする」と言う所以だと思う。

実際に私が考えて紐づけたのではなく、1人の先輩に言われたことがある。
その人が遅れて飲み会に合流する時、私は店の名前と食べログのリンクだけでなく、駅の出口、道順などを送った。無事に到着して楽しく飲んでいたけど、その私の連絡を例に挙げて先輩は一言「君は人の考えを奪うよね」と言った。

元々言葉を選ぶような人ではないので随分ストレートだったけど、先輩はただただ私への「感想」を言ったに過ぎなかった。
でも私はその言葉が妙に刺さってしまって、抜けなくなった。
「人をダメにする」とはよく言われていたけど、その方法は「人の考えを奪うこと」なんだとはっきりわかった。

でも確かに、こんなに先回りする人がいると、調べるのをやめ、具体的に言うことをやめ、リスクについて考えることをやめてしまうだろうな。
結果的に任されたり、信頼されたりするきっかけになるかもしれないけど
それは信頼というより依存で、私自身も結局タスク過多や気分屋故の相手とのすれちがいにつながって。
お互いのために良いことじゃないなーと今は思っている。

かといってずっと私の「あたりまえ」だったことをやめられるはずもなく、
今日も先回りして空気を読んでいるんだけど。

それでも、先輩に言われてはっとした気持ちは忘れていないし
ちょっとずつだけど、たとえば待ち合わせは「相手も調べるっしょ」と必要以上に連絡しないようになったり
友人が会話で詰まっても助け舟を出さないように意識はしている。
母もよく言葉に詰まる人だけど、歳も歳だし頭を使ってほしいから極力最後まで口を挟まない。

ぼんやり「人をダメにする」って言われるより、核心をついた言葉をストレートに受けて、言語化されることでの気づきがすっごく大きいことを改めて感じた。
だから会話は必要だし、違った視点をくれる周りの人たちを大事にしなきゃいけないんだな。人をダメにしないようにしたい。

たくさん話して、言語化して、軽くなっていくといいな。


ではまた

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