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そこにあったのは幸せだった。

2017年 ヘルシンキ世界選手権 観戦記


フィギュアスケートのファンは幸せだ。

そう思うことは、これまでも何度かあった。
選手が、ノーミスで滑り終えた時、ベストスコアを更新した時、
課題としていた技が決まった時。

そのガッツポーズに、その涙に、ともに歓喜し、
ファン同士喜びを分かち合う。
それが応援している選手ならば、感動も尚更だ。

他のアスリート同様、フィギュアスケーターの多くも、怪我やスランプなど様々な障害にぶつかり、それらを克服しようともがいている。
ファンはそれを知っているからこそ、試合という大舞台で花を咲かせた選手に、惜しみない拍手を送り、また自分たちも大きな感動をもらうのだ。

だから、演技を終えた選手に対して「ありがとう」という言葉が飛ぶ。
素晴らしい演技をありがとう。
頑張ってくれてありがとう。

そして、スケートを続けてくれてありがとうーー。

同時にtwitterやインスタグラムなどのSNSにも書き込まれ、
ファンの間を一気に駆け巡る。
選手に直接言えなくてもこの気持ちを表さずにはいられない。
そんな思いの共有が、私たちにしばしの高揚感と一体感を与えてくれる。


3月29日から4月2日の5日間、フィンランドのヘルシンキでフィギュアスケート世界選手権が開催された。毎年、シーズン最後に行われるこの大会は五輪に次いで権威のあるもので、優勝者は世界王者と称される。
今回は平昌五輪の出場枠を決定する重要な大会でもあり、
注目度は例年以上。さらに、2014年の金メダリスト、
羽生結弦選手の王者奪還への期待と相まって、
日本から多くのフィギュアスケートファンが現地応援に駆けつけた。

そして迎えた当日ーー。
SP(ショートプログラム)が終わった時点で、羽生選手は5位と出遅れた。ファンの落胆ぶりはいかばかりかと思いきや、
会場で出会った人たちの多くは表情も明るかった。
ネガティブな言葉はどの口からも聞かれず、
SPでの10点以上のリードをFSで覆されて2位に沈んだ昨年の例を挙げ、
「だから今回は彼の番。これは逆転優勝への布石なのだ」
という声も増えていった。
そして、ネット上のファンの反応も、見事なまでに同様だった。

しかしーー。そこには拭きれない不安も見え隠れしていた。
言霊を信じ、もし心配を口にしたらその通りになってしまうのではないかという恐れと、ファンの誰もが闘っているように感じた。

そんな、かつてない緊張感の中で迎えたフリープログラム。

羽生選手がジャンプの一つ、技の一つを決める毎に、
会場が熱狂していくのがわかる。
最後の3ルッツを決める前には、もはや誰の顔にも不安など見えなかった。

これはーー。
これは、誰も見たことのない史上最高の演技になるーー。
そんな予感が確信となり、会場全体を支配していった。

そして、あの大喝采。
4分30秒の芸術は、223.20というFS歴代最高得点を叩き出し、
総合得点321.59、大逆転での1位となった。
羽生選手は見事、世界王者へと返り咲いたのだ。

彼の演技が終わった瞬間、ハートウォールアリーナは涙に満ちた。
国籍も応援する選手も関係なく、観客同士が抱き合って、
羽生選手の健闘を讃えあっていた。
そう、海外の解説者たちまでも。

誤解を恐れずに言えば、ほとんどの人生に、
ここまでドラマティックな出来事は起こらない。
だからこそ、世界最高の舞台で、史上最高の演技を成し遂げるという
物語に、人々は熱狂したのだろう。
何度も逆境から立ち上がる羽生選手の姿に勇気をもらい、
こんなふうに生きてみたい、生きてみたかった、と、
それぞれの思いを重ねながら。

SPの後、失意の中にいたであろう羽生選手は、
海外プレスのインタビューでこう答えていた。
「会場やネット、テレビの前などいろいろなところで応援してくださるファンがいる。だから自信を持って心地よく試合に臨むことがことができる」。

そこから2日後のFSで出した世界最高得点。
応援は彼の力になるーー。
この事実は、ファンにとって何よりも嬉しいことだった。

もちろん、総合で319.31と自己ベストを大きく更新し、銀メダルを獲得した宇野昌磨選手、FSのノーミス演技で15位から5位へと躍進した三原舞依選手なども、応援がくれるパワーを実感していたに違いない。ミスが出たものの、最後まで笑顔で健闘した田中刑事選手、樋口新葉選手も、また。

今回、シングル、ペア、ダンスともに、演技後に立ち上がれないほど疲弊した姿を多く目にした。プレッシャーに押しつぶされ実力が出せなかった選手、ゾーンに入ったような圧巻な演技を見せ、ベストスコアを出した選手。皆、それぞれに限界まで力を振り絞って闘っていた。
これこそが世界選手権、真の王者を決める厳しい闘いの場なのだ。


今大会は、五輪の枠取りもかかっていながら、それでも、どの選手にも大きな声援が送られ、国旗が舞った。
キス&クライで全ての選手の心からの笑顔を見ることが願いだと、
多くの人が口にした。
敵という存在はない。超えなくてはならないのは自分自身。
フィギュアスケートというものが、一つの喜びを奪い合う競技ではないことを熟知している観客が、何より会場の雰囲気を温かなものにしていた。


今、改めて思う。

フィギュアスケートのファンは幸せだ。

白いリンクの上には、選手と彼らを応援するファンの夢が溢れている。
それを掴もうと、思いを一つにする時、
そこにはかけがえのない絆が生まれる。

ここまで距離の近さを感じられるスポーツはそうそうない。
だからこそ、その距離感を間違えてはいけないことも確かだ。

近くにいくことが思いの強さの表現ではない。
どんなに遠く離れて応援しようとも、
応援している気持ちはちゃんと伝わっていことを
この大会でも選手たちは示してくれたのだから。

2017年の世界選手権は、
フィンランドの美しい自然のように幸福感に満ちていた。

多くの名演技を生んだ素晴らしい大会として、
これからも長く皆の心に残るだろう。


2017年4月10日
(2022年8月22日再録)



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