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【朗読後記】山月記を再読してみた

 大好きな作品の再読です。寅年の〆に読みました。前回読んだのは2021年2月でした。その頃はまだ朗読後記を書いていませんでしたが、この話を朗読した時のことはよく覚えています。前に習っていた講師の指導の下、時間をかけて練習しました。その講師に習うようになってから確か3作目か4作目でした。そしてこの作品は某朗読コンテストで課題になっており、私もエントリーして予選通過しました。入賞はしませんでしたが、他の作品に比べて練習時間は多かったのです。

 まず今読むとどうなるかと再録しました。不十分ではありますがこれが今の実力だろうということで区切りをつけてアップ。そして久しぶりに前のものを聞き返してみました。文章の解釈は変わっていないはずです。

 👂うぉぉぉぉ🤣🤣🤣  

 これは強烈!なんとなく予想はしていたけれど、思っていた以上に今と違います。録音があるとこれだから面白い。今よりも下手なのは当たり前なのですが、考察のしがいがあります。

①音域が狭く、無理な低音で音がつぶれている。
②文末に向かって全て音を下げているので文と文がいちいち途切れる感じがする。よって話しをしているようには聞こえない。
③文末の音が消えている。力を抜くこととなおざりは違うだろ!
④助詞の扱いが雑。
⑤一つひとつの言葉の扱いも雑っ!
⑥発声に息を使いすぎる。この声がいいと思っていた。🤣×100
⑦表現豊かに読めていると思っていた。🤣×100

 当時は知らなかったのだから仕方ないけど、知らないって無敵で怖い。特に⑦な💧でもこれだけ考察ができる耳に育ったということですね。

 さらに今回の朗読の考察も。
⑧冒頭の地の文が思っていたようには読めていない。もっさりしていてつまらない。つかみが悪いのはアカン。難しい文章なのでスピードを落としたのだが、いつもの悪い癖が出ている。スピードが遅くなってもリズムがあるのが理想。デザインも悪い。
⑨25分といつもより長いので、途中からガス欠。前半まあまあ乗っているところもあったのに集中が続かず、ごまかした読みになっている。細かい点を上げるのを省くが、前半と後半で読みが変わるのは修練不足もいいところ。
⑩自分がデザインしたように読めていない。そう聞こえなければ意味がない。

 あと読み方とは関係ありませんが、音が反響しているのが気になります。マイクの使い方が悪いんだろうなあ。研究しなければ。

 今年最後の朗読後記なので偉そうに語ります。
 朗読のスタイルについてよく意見が分かれます。読み手の方も流派のように固執しているところがあるように思います。私も10年以上朗読をしているのでその論点についてはもう何周もぐるぐる巡りました。感情を入れるだの入れないだのなりきるだの……。

 で、最近悟ったんです。結局朗読は「聞こえてきたものが全て」なんですよ。

 表現は自由。作品のデザインの仕方は人それぞれ。その上で、読み手がどんなになりきってみようが、どれほど想いを込めようが、逆に感情を抑えて聞き手に委ねて読もうが、正直どうでもいいです。
 問題はその先。自分がデザインした通りの音で聞こえるのかどうかです。(デザインされたものが聞き手の好みに合うかどうかは、読み手がコントロールできないことなのでまた別の話です。)
 先の例で言うなら、まるで目の前にいるかのように感じ、文意に沿った感情豊かな言葉が届き、抑えた調べの中で自分の想像が広がる朗読にならなくちゃ意味がない。そういう音で聞こえなければただの独りよがり。流派云々言うなら、その理論でそういう音にして下さいな。読み手のデザインが伝わってくる朗読はみんな面白いです。

 と、偉そうに語りながらどんどん自分の首が絞まるので死にそうです。終わりにします。
私自身、まだまだ独りよがりのレベルで、デザインすらできない作品もたくさんあります。先は長いな。遠い、遠すぎる。来年も頑張ります。

2022年版の「山月記」です。25分と長いのですが、よかったら聞いてください。


一応2021年版の「山月記」も置いておきます。(聞かなくていいです)

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