見出し画像

痛みが望みに変わった


沖縄でのリトリート中、
ふと気になったことを
掘っていったら出てきた言葉。

「私はありのままでは、愛されない」


この言葉が出てきたとき、
心の奥底でカツンと当たる音がしました。


ちょっと動揺している自分もいて、
なかなか核心に近い感じがしました。



もちろん幼い頃に持った思い込みで、
今は感じていません。

けれども、
この時初めて顕在意識に上がってきたので、
この言葉が出てきた理由を考えてみました。




優しい姉と嘘つきな私



幼いころ、
母からよく言われていた言葉があります。

お姉ちゃんは優しくて、思いやりがある、良い子
あなたは嘘つきで、思いやりがない、悪い子


「良い子」「悪い子」の部分は
母に言われた訳ではなくて、
私がそう受け取っていたのだと思います。


そして、母は私を貶めたかった訳ではなく、
心優しい子に育ってほしい一心だったのだろう
と推察できます。


実際のところ、
姉は今でも優しくて、めちゃくちゃ素敵です。
なので、姉のことに関して異論はないのですが、
自分に関してはつらかった記憶。。


嘘つきと言っても、
幼稚園生くらいの子供が
大人には分かりきった嘘をつく。
そんな程度かとは思うのですが。。


この明らかな姉と自分との対比は
幼い私の心の中に、確かに存在していました。


また、母と姉はどちらかというと
感情的であるのに対し、
私はどちらかというと理性的
この違いも思い込みに拍車をかけました。



私は
ダメなんだ
変なんだ
人間ぽくないんだ


そう心の隅で思って、
生きてきたのだと思います。




今、「ありのままでは、愛されない」が出てきた理由



「ありのままでは愛されない」
と思い込んでいた私は、
「ありのままで愛されたい」
そう強く願っていたはず。


でも幸運なことに、
数年前に出会ったヨガで、
安心・安全の世界を知りました。
ありのままの自分でいても、
尊重し、受容される体感が確かにありました。



最近コーチングにも出会い、
ありのままの自分でいることに、
だいぶ慣れてきていました。



私はありのままで
大丈夫で、
魅力的で、
愛されている。
そんな感覚があります。


だから、今度は
他者に対して、
「その人のありのままを愛したい」

そう願っているみたい。


ちょっと頑張っているかもなという人を見ると、
「そのままで大丈夫だよ」
「十分素敵だよ」
「安心して良いんだよ」
そんな言葉が自分の中で湧いてきます。
ギュッと抱きしめてあげたいという
衝動が出てくることも。


みんながありのままで、
安心して居られたら良いな。
そんな風に願っているみたいです。


数年前の私は心に穴が空いているような、
満たされない感覚をもっていました。


今度は、自分から溢れてくるものを
誰かに渡していく。
そんなことが出来たら、
良いのかもしれないですね。




あなたのありのままも感じてみてください。
きっと素敵な何かがあるはずです。



最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。



今日も素敵な1日になりますように🍀








ありのままの他者を、そのまま愛したい

そんな願いに気づくために、
この言葉が出てきたのかなと感じました。