何事にも多角的に

こんばんは、ゴトー日。15日の更新です。

昨日はバレンタインデーでしたね、私はその数日前に外に出る用事があったので帰りに好きなケーキ屋さんでケーキ買って食べました。最高。
チョコレートも日頃おやつの時間にブラックコーヒーと共に嗜んでおります。好きです。

ここ最近メンタル的にものすごく落ち込んでおりまして、今はもう大分いつもの感じに戻ってきたのもあって11月末くらいから手がけていたまま、進める事も出来ない仕事に取り組めるようになって、そしてやっと一段落。
なんとか戻って来れてよかったなあと他人事のように自分のことをお祝いしたい気持ちです。
なので今日は心置きなくのんびり過ごしております。

あまりに落ち込んでいた時期に現実逃避の一つとして本を読むことに取り組みまして。そもそも本を読むことは好きだったのと自宅で仕事をしているのもあって出社するための移動時間等の空き時間というのが存在しないので、その時間を捻出するのが意識的にしなくてはいけなかったという理由で優先度が低く、興味のある本を買うだけ買って積んでいる…という状態だったのが落ち込んだことによって変化が生まれたんですよね。
(こう考えると低迷していた事にも意味があったなと思えるのでその時期の自分をあまり責めなくて済むというのもありますが)

元々自分を責めるような感じの落ち込みじゃなかったので、今のはこじつけの言い訳感は否めませんけど世の中というか自分に起こった出来事はプラスでもマイナスでもなくて、ただフラットに存在しててそれをどう捉えるかによってプラスにもマイナスにも転化するという考えが私は好きなので、落ち込んだ時期により仕事が全く出来なくなっただとか本心ではやりたい事なのに、体が動かなくて歯痒い思いをしていたのは事実ですけど。
何も考えられない状態でぼんやりと時間を過ごす事が出来たりもしましたし、その時に生まれてきた疑問を人に投げかけることによって自分の引っかかっている部分に気付けたり、その疑問を投げかけた相手の考えを聞けた事も学びになったり、先述したように自分の生活に新しいルーチンを強制的に組み込ませられるようになったり、と元気な状態だったらこうなっていないだろうという今の私がいるので、必要な事だったんだろうと思っています。

そんな前フリで今回は何の話かというと、本の話です。
人間の感情の変化について私はとても興味があり、仕事にもそれはとても顕著に表れてるのもあるし性格的にも(MBTI的にも?)そういうところに目が行きやすいのかなと、以前より漠然と思ってはいまして。
だからなのかはわかりませんがある時からやたらとイヤミスと呼ばれるジャンル(と言っていいのかは謎)の小説ばかり読むようになったんですよね。
そのため本棚にはイヤミスブーム?の時に平置きされていた著者の本がたくさん並んでおり、基本的には文庫を買うのが常なのですが中には文庫落ちするの待ってられない程好きな作家さんのサイン入りのハードカバー本を買ったりと、どっぷりイヤミスの世界に浸かっていました。
そんな時期を通り過ぎて引っ越しを挟んでいくつかの本を手放して、今の家に住み始めてからはあまりそのジャンルの本を読まなくなったし買わなくなった代わりに、SNS上に存在する好きなユーザーさんが「この本を読んだ」と発信すれば盲信的に私も同じような本を買ったり。
仕事で関わる人に「この本面白かったですよ」と言われたらじゃあ買ってみるかと、今までの自分では食指が動かなかったジャンルの本が増えていき今の本棚は以前の本棚よりもバラエティが豊かになりました。

心理学というものは高校時代の頃から結構興味が強くあって、一時期はカウンセラーになりたいなあと目指す勢いもあったのですけれど結局は幼稚園時代の自分の夢に敗れましたね。
とは言え興味を失ったわけではないので、定期的に人とは…と頭を悩ませる私にとって心理学関連の書籍を読むのはとても実りがある事だと考えているのと、職業的なあれそれで適用出来ることもあって漠然と気になるタイトルをぽちぽちして本棚を彩ってくれていたんです。
そういう本は大体ソフトカバーのB6判だったり新書だったりが多くて、ハードカバー本やソフトカバーB6判本は外出時に持っていくのはあまり適さないので(重いしでかいし)、そういうものは自宅で読む一択になっています。
そのためここ最近のルーチンに組み込まれ始めている読書の時間はもっぱらハードカバーやB6判の本に偏りつつあるため、先日外出する用事があった際にメインの用事はものの数十分で済むのに対し移動時間が片道1時間近くあったので、これ幸いと本を持っていくことに。

すぐ読みたいテーマだったり興味の強さだったりある本は普段作業してるデスクに置いておくようにしているのですが、その中の一つに途中まで読んでいる新書本があったためそれを今回の移動のお供にしました。
…が、250ページくらいの本文の内100ページくらいまでは読み進めていたはずなのに、何となくしか頭に内容が残っておらず頭から読み直しても「ああこんなような事書いてあったな…あったよな?」と、まるで記憶も頼りにならない状況になり、結局そのまま頭から読み直す羽目になってしまったんですね。
物語なのであれば世界に入り込める事が出来ればそのまま読み続けることはそこまで大変な事ではないのに、ノンフィクションだと語られている前提をちゃんと自分の中で落とし込んでいかないと読めないので少々読み進めるのに時間がかかって、ページを行ったり来たりする事も多々ある。
そのため移動時間だけでは読み切る事が出来ず、栞を挟んだまま自宅に帰宅したものの前提条件を折角今回頭に入れたのにまたこの本から離れてしまったなら、次いつ手に取るか分からないしそうなってしまったら今回と同じような状況がまた訪れる事が目に見えたので、家では別に読み進めている本があったのだけどそれを一旦止めておいて新書のノンフィクションを読み進めることに。

そしてそのノンフィクション本をやっと先日読み終わったんですけど、なんというか読み疲れたというか…多分この人の本はもう読まなそうと思ったのが一番最初に浮かんできた感想でした。
世の中にはたくさんの作品があって、その作品全てに個性というものが存在していて個性を受け入れた上で評価する人もいれば、個性を受け入れられない上で評価する人もいるわけでテーマは興味があるけど個性(この場合著者の文章)が強いためにテーマがさっぱり頭に入って来ないのは、この著者の個性と私が合わないのかなとなんとなく思ったんですよね。
勿論私の読解力の低さだったり、取り扱っているテーマに対して持っている知識が乏しかったりでこういう結果を生んでいるのかもしれないけれど、ノンフィクション作品はフィクション作品よりも更に個性というものが重要視すべきものなのかもしれない…と新たな発見がありました。

思い返してみれば新書本でいくつか買ってはいるのだけど、さわりだけ読んで手放してしまう事が多く読みきれないノンフィクション本は数知れず。
というところから単純に私がノンフィクション作品を読み慣れてない可能性があるので、とりあえず今も変わらず強い興味が湧くテーマは心理学に関するものなのでそれが続いている間はそういうものを多く選択してしまうかも知れないけれど、興味が強いのであれば苦手(かも知れない疑惑)なノンフィクション本もとっつきやすいだろうから、いくつか読み漁ってみたいなと考えてます。

今はひとまずノンフィクションのようなそうでないような、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ブレイディみかこ著を読んでおります。
これも友人に薦められた本の一つで著者であるブレイディみかこさんと、そのパートナーの間に生まれた息子さんのお話で、偏見だったり差別だったりそういう問題を小学生から中学生になった息子さんが入学した学校での話をメインとして進んでいく内容です。大分有名な作品だと思いますが、もしこのさわりしか読んでいない私の紹介でなんとなく興味が湧きましたら是非。

ではまた。

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