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オタク・アングラ時代回顧録~ハッピー☆マテリアルオリコン1位運動の話~

 00年代序盤。

 21世紀がスタートして早々にニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込み、その後の世界的な混沌を生み出した00年代序盤のオタク文化もまた混沌としておりました。

 この頃から深夜アニメが大量に作られるようになり、ピンからキリまで様々なクオリティのアニメが世に出回るようになりました。匿名掲示板2ちゃんねるがオタク達の間でじわじわと流行り始め、その中から犯罪者が出たり、逆に電車男のようなムーブメントを巻き起こす存在が現れたりと良い意味でも悪い意味でもネットのスターが誕生。

 秋葉原ではメイド喫茶が流行ってオタク達がこぞって訪れ、"萌え~"という謎のワードを発しそれが流行語になったりもしました。

『バトル・ロワイアル』という小説が流行り、映画化や漫画化までされ大勢の中二病患者を生み出すきっかけになったりもしましたね(笑)

バトル・ロワイアル

 当時主に中学生の間でブログとかで自作のバトロワを書いて、その中で同級生を皆殺しにして楽しむという、もう本当に思春期モラトリアム全開みたいなのが暗いオタクくん・オタクちゃんの間で流行ったんですよ(笑)佐世保で実際に同級生を殺してしまった少女がいて、その子が自作バトロワを書いてた事がわかって一時期2ちゃんねるで祭になってたりもしました。

 僕はだいたい2001年頃から『涼宮ハルヒの憂鬱』が大ヒットする前年の2005年までの5年間くらいを個人的に"オタク・アングラ時代"と呼んでおりまして、なぜかと言いますとこの頃ってアニメとかインターネットをオタクしか利用してなかった最後の時代だと思ってるんですね。

 そもそも1980年代からアングラな趣味に傾倒している人達を世間が"おたく"と呼び始め、末期には宮崎勤事件という連続幼女殺害事件が起こり、犯人の部屋がアニメやらなんやらのビデオテープで埋め尽くされていた事からオタクのイメージが最悪の形で広まった。当時の事は聞いた話でしか知らないのですが、成人男性がアニメを見てるだけでロリコン扱い、犯罪者扱いされていた時代が確かにあったらしいんです。酷いですわな(笑)

 それが00年代前半に電車男などの影響で「なんか変だけど面白い奴ら」みたいな印象に変わっていき、00年代後半にYouTubeやニコニコ動画が流行ると同時にオタク以外でもアニメを見る人が増えていき、現在ではオタクが普通の顔をして生きていられる時代になったわけですが、00年代前半というのはオタクがアングラ趣味でいられた最後の時代だったと思うわけであります。

 当時のオタクの居場所といえば2ちゃんねるか秋葉原、中野ブロードウェイか池袋サンシャイン通りくらいしかありませんでした。

 僕がオタクになったのがちょうど2001年くらいなんですけど、その頃中学生だったんですがまず深夜アニメを見ている友達が周りにいなかったんですよ。いたかもしれないのですがみんな大っぴらには言わなかった。友達と話題にするのは当時流行ってた歌とかバラエティーとかそんな話ばかりで、今ももしかしたらそうなのかもしれませんが少なくともこの頃は友達との話題にアニメが上る事はなかったわけですね。

 その分アキバや池袋に対する憧れは凄いものでございまして、これは僕だけだと思うんですが中学生の頃はよく何も買わないのに自転車でアキバまで遊び行ってました(笑)僕の家からアキバまで片道3時間くらいあるんですよ(笑)まあ頭おかしなガキだったんですよね(笑)

 当時の秋葉原ってまだメイド喫茶ブームが来る前の電気街時代でありまして、そこにいる奴と言えば本当に暗いオタクか、リアルにバンダナ巻いてシャツインして革手袋を嵌めたような痛いオタクかいなかったんですよ。外人観光客もメイドの呼び子もいなかった。『げんしけん』の最初の方の話でげんしけんのメンバーがアキバに行く下りがあるんですけど、本当にあのまんまの空気感だったんですよね。

『げんしけん』で荻上が出てくるまでの話は当時のオタクの生活を描いてくれているので、興味ありましたら歴史資料がわりにお読みください(笑)

げんしけん

 メイド喫茶がブームとなり、本格的にアキバがオタクの聖地となり、電車男で2ちゃんねるが世間に見つかってしばらくした頃、2ちゃんねるである運動が行われ始めました。

 川崎祭ってご存じですか?

 …ハピマテの話まで行くのはもう少しかかるんで今しばらくお付き合いください(笑)何しろここらへんの事全部語らないとハピマテを語れないんですよ。

 30前後の野球ファンにはかなり有名な話ですね。2003年のオールスター投票で、当時東京ヤクルトスワローズから中日ドラゴンズに高年俸で移籍したものの怪我に泣きずっと二軍生活を送っていた、本来ならオールスターなんかには出れない選手を投票1位にしてやろうという、2ちゃんねるの野球板を中心とした組織票運動ですね。

 こう書いてみるとめちゃくちゃ悪趣味ですわな(笑)

 当時ってまさか悪用されるとは思わなかったんでネット投票の仕組みがガバガバだったんですよ。確か一人で何通でも投票できた。そこに目を付けた悪いオタク達がネットを使って遊び始めたわけです。

 結局組織票に使われた川崎憲次郎投手はオールスター投票で1位になり、その後確か記者会見まで開いて辞退を表明するという異例の事態まで発展したんですよね。この時の一連の騒動が"川崎祭"と呼ばれてるんですが、他にも阪神タイガースのトレイ・ムーア投手を打撃が良いからという理由で一塁手で選出しようとしたり、当時野球ネット界の大ヒールだった中村紀洋選手の選出を阻止しようとみんなで他の選手に投票しまくったりとまあめちゃくちゃでしたよね(笑)

 でこの頃からオタク達が「組織票で遊ぶ」という悪事を思い付きその後のいろいろな問題へと発展するわけですが、その中の一環として目を付けられたのがアニメ『魔法先生ネギま!』の主題歌でありました『ハッピー・マテリアル』だったんですね。

ハッピー☆マテリアル

『魔法先生ネギま!』は2003年から週刊少年マガジンで連載がスタートした作品でして、二度のアニメ化と映画化もされました。『ハッピー☆マテリアル』は一度目のアニメ化のオープニング曲ですね。

 この曲、歌自体はまあ普通のアニメソングなんですが売り方が異常でして。作品に登場する30数名のキャラクターを5~6人に分け、全部のグループが歌った『ハッピー☆マテリアル』を毎月発売したんですね(笑)当然アニメのオープニングも毎月歌う声優さんが変わりまして、当時これがちょっと衝撃的で話題になったんですよね。

 で内容にも触れときたいんですが、アニメ自体は本当にダメだったんですよ(笑)作画は崩れてる、テンポは悪い、キャラが多すぎるので棒読みの声優もいてある意味話題になったりと、原作は面白いのにアニメ版はこんなにダメになるのかってくらいの出来でして、正直見るのが辛かったんですよ。

 これが終わった1~2年後、今度はシャフトが『ネギま!?』とタイトルを微妙に変えて二度目のアニメ化をしたんですが、今度は独特な演出で有名な新房昭之監督のクセが強すぎて(笑)まあどうにもアニメ化に恵まれなかった可哀想な作品でもありました。

 ただ2ちゃんねるにいる悪いオタク達にとって作品の内容はあまり関係ありません(笑)

 ニュー速のVIP板で始まったオリコン1位運動はオタク達の間で瞬く間に広まっていきました。当時Jポップ界で絶対的な権威を誇っていたオリコンチャートで変なアニメソングを1位にしてやろうと。しかも毎月出るので毎月1位にしたら面白いじゃないかとそういうシンプルな趣旨だったんだと思うのですが、これにみんな面白がって食いついたわけです。

 当時ってまだAKBが握手会戦法を使う前だったのでわりと毎月普通の歌手がランクインしてましたし、やっぱランキングを気にしてる人が結構いたわけです。CDを買う時代でもありましたし、1位になったら人気者、上位に入った曲はとりあえず聴こうというような風潮がまだ残っていた。そこへオタク達が殴り込みをかけたわけです。

 どれだけのものだったかというと、当時ってまだ水樹奈々もブレイクしてませんでしたし、アニメソングといえば『残酷な天使のテーゼ』か昭和アニメの曲くらいの認識であって、深夜アニメの歌なんてのは箸にも棒にも引っ掛からなかったわけです。

 そんな中で最初のグループが歌ったハピマテが8位にランクイン!

 これが本当に衝撃的でありまして、一桁台に入ると音楽番組や朝のワイドショーでちょろっと流れたりするんです。当時の人気歌手やバンドなんかに混じって変なアニソンがちょっと流れるんですよ(笑)

 しかも流れてる様子をアニメなんかまったく知らないような芸能人がワイプで見てるわけです。ハピマテが流れた時にワイプで抜かれた芸能人の「なにこれ?」みたいな顔がもう本当に面白くて(笑)この時の映像はニコニコ動画にまだ転がってたはずなので探してみてください。

 1月から6月まで毎月発売したハピマテはもちろん毎月のように上位にランクインし、最高で3位まで上り詰めました。音楽番組やワイドショーで他のPVが流れる中、当然アニメの映像なんか流せないので3位なのにCD直撮り(笑)テレビの前でゲラゲラ笑ったオタクくんも少なくはなかったでしょう。

 更にこの年の紅白で一般投票みたいな事をしたんですが、そこでもオタクくん達が頑張って50位までしてましたね。なぜこんなに情熱を燃やしてたのかわからないんですが、とにかくみんなで頑張ってましたね。

 この悪のり運動が更に『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』などに受け継がれ、謎のキャラソンがなぜかオリコン上位にランクインするというわけのわからない事態になっていったわけです。

 ハピマテ運動にはもちろん肯定的な反応ばかりでもなく、有名人でも歌手の森山直太朗さんがラジオで苦言を呈して軽く炎上騒ぎになったのですが、思うにハピマテ運動ってアングラ時代のカウンターカルチャー的なところもあったんじゃないかと思うんですよね。

 当時って話題の歌、話題のドラマやバラエティーみたいな、そういうものしか話題に挙げづらい時代でもあったんですね。今で言えば半沢直樹くらいしか語れるものがなく、ソシャゲを公共の場で友達と話しづらいみたいなもんですよ。まあ今でも大声でオタク話できるわけではないんですが、当時はやっぱオタクという趣味自体がアングラだったものですからそういう風潮への反抗もあったと思うんですよね。

 俺達はここにいるぞ。社会に影響を与えられるぞ。無視するなみたいな、痛々しいですが悶々としたものを抱えてたんですよね。

 だからこそ川崎祭なりハピマテ運動なりがオタク達を巻き込んで爆発的な騒ぎになったわけですし、それってやっぱオタクカルチャーが一般化しつつある今ではあまり起こり得ない現象だと思うんです。

 この当時の事ってその時はまあ特に意識してなかったんですが、今振り返るとかなり特殊だなと思い忘れないために今回書かせていただきました。

 あと余談なんですが、ネギまっていうとプレステ2から最初に出たゲームがかなりイカれてまして(笑)

魔法先生ネギま!1時間目~お子ちゃま先生は魔法使い~

 学園内をうろちょろしながら女の子達と仲良くなっていくゲームなんですが、なぜか女子トイレにも入れるんですよ(笑)

 でこのゲームでは魅了の魔法みたいなものをかける事ができて、それを使うと女の子が寄ってきて揉みくちゃにされるんですが女子トイレでそれを使うと出れなくなっちゃうんですよね(笑)

 エロいシーンもたくさんあって攻めたゲームだったな~と、今でも思い出深いゲームです。

 というところで今日はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました!

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