こういうこともある

こういう道の歩きかた。

昨日、なんかすごいことが起きている、という記事を書いた。

自営をしてきたこの四年間なかった「結果が出ている」状態。

それで思い出したことがある。
歌手でヒーラーの本郷綜海さんに教わったことだ。

人は「右肩上がり」が好きだ。
人生にしても、なんにしても、そんなふうに進んだらいいと望む。

絵にするなら、こう。

でも、なにかの結果が得られるまでの道のりとして綜海さんが描いたのは、こういう線だった。

しばらくはずーっと結果が出ない。
そして、ある日突然、グンと結果が出る。

僕はこの線が結構、印象に残っていた。
そして、この四年間のあゆみも実際そうなった。

で、いますごく伝えたいと思うのが、この最初の時期、横ばいで結果が出ていない線の歩み方のこと。

この時期って、けっこうつらい。
思いや希望があっても、それが目に見える結果につながっていかないから。

自信もなくしがちだし、人にも説明できなくて、孤独になる。

僕自身、何度もへこたれそうになった。
それでもなんとか四年続けてこられたのは、一つには、人には説明できない「小さな手ごたえ」とか「それでもよかったこと」がキラキラと光っていたから。

それはちょうど、土の中とか海の底にいて、他人からは見えないけれど、本人だけは「育っている」とわかるような感覚。

でも、それだけだったらダメだったと思う。
見えないなにかを信じ続けるには、本当に力がいるから。

僕がなんとか続けられた一番大きな要因は、まだ芽が出ていない僕を自分以上に信じてくれ、応援してくれた綜海さんのような先輩たちがいたこと。

この時期って「結果出てないじゃん」とか「前もダメだったじゃん」って言われやすい。そして、さっきの線を見てわかるとおり、客観的にはそれが正しかったりする。「ずっと結果が出ない」わけだから。

実際、僕はこうした言葉を相当投げかけられてきた。すごくきつかった。

でも、いま思うと、それは「右肩上がり」の幻を見ている人の発想だと思う。僕自身もずっとその幻をみてたからわかる。

で、このギャップがきついんだ。

「右肩上がり」と実際のあゆみとのギャップは、人を批判する材料になりやすい。でも、それって誰もしあわせにしない。本当に。

だから、この線のことを知ってほしい。

そして、自分にも、他人にも「結果出てないじゃん」「前もダメだったじゃん」と言うことをやめてほしい。

もしも結果が、自分という器からあふれる水のようなものだとしたら、それがあふれるまでには、水を注ぐ一定の時間がいる。

それがいつかは、誰にもわからない(このことはとても大事なことだ)。
結果が出ていないのは、もしかしたら器自体が大きいからかもしれない。

だから、すごく言っておきたい。

人の(自分の)あゆみを勝手に判断するな、と。
そんなことをしてしまったら、せっかく咲くはずの花が出てこられなくなってしまう。「結果出てないじゃん」「前もダメだったじゃん」という言葉によってあゆみを止め、咲くことを諦めてしまう可能性の大きさに、僕は心底、胸を痛めている。

芽が出るその日まで、種は土の中にいる。
それまで待つことができる人が、一人でも増えてほしい。
自分一人で信じて待つのは、本当に大変なことだから。

いま僕に起きているのを「咲いた」と言っていいのか、本当はわからない。
だから、こんなふうに書くのは尚早かもしれないけれど、とても大事なことだと思うから書いてみた。

もちろん、絵は実際とは違うし、線の話はあまりに簡略化しすぎているかもしれない。

でも、もしも人生がぐにゃぐにゃで、浮き沈みの激しい道だとしても、先のことがわからない人生をたのしく歩んでいきたいのだとしたら、ここに書いたことは大事なことだと思う。本当に。


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