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「母乳神話」とわたしたち。

妊娠しておなかが大きくなることも、赤ちゃんが出てくることも不思議だったけれど、母乳が出るようになることも同じくらい驚きに満ちた変化だった。

出産して、子宮内の胎盤が外に出されると、母乳が出るのを抑えていたプロゲステロンというホルモンが急激に減る。一方で、赤ちゃんにおっぱいを吸われることで「母乳を出すときがきたよ」という信号が脳に伝わり、ホルモン(オキシトシン、プロラクチン)が増えて、母乳が出る。

出産までは出ないのに、産後すぐに出る。「なんちゅう仕組みだ!」と心から驚いた。まさに人体の神秘。

母乳がいいか、ミルクがいいかという話も、この頃、意識しはじめた。
そのときには、後に苦悩が待っているとは思いもしなかった。

奥さんの場合、母乳が出ないわけではなかったし、最初は母乳もミルクもあげる「混合」でいいと思っていたそうだ。でも、実際に赤ちゃんに母乳をあげた後、ミルクを与えるときに「この人工物をあげていいんだろうか」という抵抗が出てきたという。それで100%母乳で育てる「完母(かんぼ)」がいいかもしれないと努力をはじめた。

けれど、産後の奥さんは心身ともに疲弊していた。あれだけ大変な出産を終えたのだ。そんなところに昼夜問わず、三時間おきの授乳があるのだから、なおさらヘトヘトになる。「母乳の出をよくするには、リラックスすることが重要」というアドバイスを何度も聞いたけれど、現場は全くリラックスするようにはできていなかった。

それに、どのくらいあげたら、赤ちゃんにとって十分な量なのかも分からない。誰に聞いても、なにを調べてもまちまち。そのことが混迷を深めた。とりあえず、定期的に体重を測って問題がないことと、赤ちゃんの機嫌を見ながら「これでいいのかな」と調整している感じで、いまも心もとない。

僕はというと「母乳はいい」という話はそこらじゅうで聞くから「完母になるといいんだな」と漠然と思っていた。でも、母乳の出は神秘の領域なので、なにをどうすればいいかは分からない。いまの奥さんには休息が必要。でも、三時間おきの授乳も必要。ついでに母乳が出るための努力も必要。「そんなバカな」と無理ゲー感を感じながら、夫として大してなにもできずに月日がすぎていった。

加えて最近は、おっぱいを飲んだり飲まなかったりすることが新しい悩みになった。理由は分からないが、乳頭をすこしくわえて、すぐに離してしまうことがある。ぎゃあぎゃあと泣くときもある。奥さんには、この動きが自分を否定されているように感じるようで「量が少ないのかな、おいしくないのかな」と落ち込んでしまう。「飲まないときもあるさ。気分だよ、気分」なんて声をかけてみても、凹んだ気持ちは安らがない。

母乳の出をよくするマッサージがあると聞いて出かけてみたり、病院の母乳外来に相談に行ったり、いろいろ試みたけれど「完母」にはならなかったし、それほど好転した手ごたえもなかった。

そんな悩ましい経験をする奥さんを隣でみてきて、「母乳の話ってなんかおかしい」と感じるようになった。

母乳の出は、身長や体重のように個人個人で違う、コントロールできる範囲が限られたもののように思える。それなのにみんな母乳が出ると思われすぎているし、母乳が出るのが正義と思いすぎている。そのことが余計な苦しみを奥さんに与えている気がして、産後の喜びにひたれる時期に、いらん話を持ってくんなよ、といういらだちがある。

いいじゃないのさ、そんなことは。と思い切って言ってみたい。
母乳であろうが、ミルクであろうが、赤ちゃんは育つ。ミルクを飲んだからって、育ちが悪くなんかならない。そんなことより「母乳じゃないから」と苦しみながら、赤ちゃんと接しているほうがよほどしんどい。「母乳がいい」はただ「いい」だけで「母乳でなければならない」ではないはずだー。

そんなふうに叫んでみても、奥さんの「この人工物をあげていいんだろうか」という違和感は拭えない。それは、赤ちゃんを大事にしたいという思いから来るものだからだ。

奥さんと赤ちゃんと僕。
家族みんながにこにこ暮らせていれば、なんでもいい。
それは母乳とミルクに限らず、これからどんなことだって、そう。
それだけで、いいんじゃないかと思うんだけれど。

夫の僕には、母乳が出ない。
母乳が出ない僕には、奥さんの気持ちの全部は分からない。
でも、あまりにも「神話」化されすぎているし、そこに入れない人たちに苦しみを与えすぎている気がして、つい、こんなことを書いてしまった。

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