苦労は人生の必須科目なのか_

苦労は人生の必須科目なのか。 (メルマガ『生きているQ』より。

この記事は、㐧二音楽室のメルマガ『生きているQ』の配信記事を加筆修正してお届けしています。(配信登録はこちらからどうぞ。)

こんばんは。澤です。

聴いてくださり、
ありがとうございます。

今日のテーマは

「苦労」

苦労なんかしたくない。
ラクに生きていきたい。

そう思う人は
少なくないと思います。

僕もそうです。

にもかかわらず、
いろんな人と出会うと、
「いいなあ」と感じる人は
だいたい苦労をしている。

そして、偏見やひがみが
混ざっているかもしれませんが、

いわゆる「成功者」として
脚光を浴びている人の中に
視野の狭さや
人に対する冷たさを
見てしまうことがよくあります。

かく言う僕自身が
そうだったからかもしれません。

僕は学校では成績がよく、
卒業後はいわゆる
「いい会社」に入りました。

道はまっすぐで、
先までよく見えました。

親にとっても
安心なお兄ちゃん、
誰に対しても
引け目を感じることは
ありませんでした。

でも、
人間としての視野は
とんでもなく狭かったし、
傲慢だったと思います。

三十代になり、
その会社員をやめて、
ずいぶんな悪路を
歩くことになりました。

いまも道がどこに
つながっているのか
まるでわかりません。

親には心配をかけています。
つらい経験もいっぱいしました。

にもかかわらず、
人としてはマシになったな、
と思うのです。

これは、
どういうことなんだろう。

それなりの苦労が
人のエゴを削って、
丸くさせたんだろうか。

でも、苦労、苦労の連続で
圧がかかったまま
捻じ曲がってしまう人もいます。

それに僕がまだ
知らないだけで
苦労知らずで、
とてもすてきな人が
いるかもしれません。

ただ、やっぱり
リアリティがないなあ。

僕ら人間が
本当につながれるのは
どうしても
「つらいとき」のような
気がしてしまうんですよね。

そんなことを思っていたら
こんな記事を見つけました。

谷川さんに「寂しさがあると、深い世界に行けるんですか」と聞くと、大きくうなずいて、こう言った。

「もちろん、そうですよ。違う?」

さらに「寂しいと悲しくなってしまうのかなって思うんです」と聞くと、少し考え、また頷いて話した。

「悲しくなるのが、深い世界に行く道だもん。よく、四六時中はしゃいでいる人っているけど、疲れちゃうでしょう。それは、自分とか、他人とかの深いところに触らないように、はしゃいでいるのかもしれない。そんな感じがします」

悲しくなるのが、深い世界に行く道。
確かにそうだったなあ、と思います。

だとしたら、やっぱり苦労は人生の必須科目なのかもしれないなあ。

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