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0歳児と暮らして。

お正月からこの日記を書きはじめて、昨日でちょうど80日になった。
赤ちゃんとは180日以上いっしょにいるから、最初の約100日は書いていなかったことになる。

いま振り返ると、その100日は本当に大変で、なにか書くどころじゃなかった。特に最初の1ヶ月は奥さんも出産直後で動けず、赤ちゃんとの暮らしにも慣れなくて、いつも「どこで休めるだろうか」と考えてばかりいた。

福岡市には「産後ケア事業」というサービスがあって、中には1日3千円で赤ちゃんを見てもらいつつ、奥さんが宿泊してからだを休められるメニューもあった。これにどこかで行ってもらおう、そして、やりかけの「ゼルダ」を一日思いっきりやろうという淡い期待を抱いていたのだけれど、宿泊施設までの交通費がかかりすぎることもあって、結局使わずに終わってしまった。

いまは休もうと考えることはあまりない。0歳児といることは、お風呂や歯みがきと同じくらい日常に溶け込んで「お世話」という感覚もなくなった。

ついでに言うと、この日記では「赤ちゃん」と書いてはいるものの、うちの子を赤ちゃんとか0歳児と思うこともなくなってきた。あんまり長くいて、しかもすごいスピードで成長するものだから、0ヶ月も6ヶ月も表せる「赤ちゃん」「0歳児」といったくくりが明らかに合わなくなっているのだ。

そういう大雑把なものさしではくくれない驚異の生命体が、赤ちゃんなのだと思う。

他に変わったことといえば、出産前にあった「可処分時間」がほぼ消失してしまったことだろうか。以前はひまを持て余すくらいだったのに、いまは「自分の時間」を一時間確保するのに汲々としている。「ゼルダ」も止まったままだ。

先に言っといてよ、という気もするが、言ってもらっても、たぶんこの未来を選んだだろう。それに、言われたところであまりに暮らしぶりが変わってしまうので、うまく想像できなかったと思う。

消失した「可処分時間」は、いま、赤ちゃんといる時間に変わっている。
赤ちゃんはかわいい。文句無しにかわいい。でも、寝かしつけのために、小一時間ベランダを行ったりきたりする間、ずっと幸福を感じていられるかといえばそうでもない。「いつまで続くのだろう」という出産前には感じたことのない修行感がそこにはある。

でも、いまさら戻れるわけでもないしなあ。それに、赤ちゃんの「にっこり」を見たら、そういう発想は吹き飛んでしまう。だから、こっちに来たことを悔やむこともない。

時々こんなふうに立ち止まって振り返ると、たった半年で「ほんとに変わっちまったよなあ」と唖然とする。その生活にすっかり慣れてしまっている自分にも呆れるばかりだ。でも、赤ちゃんの「にっこり」を見たら、そういう発想も吹き飛んでしまう。

そうして、にっこりにっこりされて、今日も一日が終わった。かなり疲れてる気もするし「この先大丈夫かな」という考えがよぎることもあるが、あの「にっこり」を見たら、そういう発想も吹き飛んでしまう。

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