音楽に浸る

知らない人の作った曲に心を鷲掴みにされる経験。

先週の木曜日に聴いたこの曲に、どハマりしている。

King Gnu の『白日』。今日で五日目になる。

YouTube で何度も聴いて、歌って、それだけでは足りずに、iTunes Store で買って。

自転車に乗っているときにも聴いて、聴きながら歌って、体の赴くままに踊って。

ギターの弾き語り動画を見つけて練習して、歌もギターも難しくて、でも、「もっと歌いたい」「もっと弾きたい」「もっと練習したい」という気持ちがどんどん湧いてくる。

電撃が走るみたいに出会って、海に潜るみたいに歌に浸って、浴びて、ごくごく飲んで。ものすごい回数聴いているはずなのに、まったく飽きない。

こんなこと、本当に久しぶりだ。
いつぶりだろう?
もしかしたら、中学生とか高校生とか。

はじめて B'zの『LOVE PHANTOM』をライブで聴いたときやミスチルが『Tomorrow never knows』を発表するのをテレビで観たときに、それはあった。

圧倒的な新鮮さと感激、電撃。
何度も何度も何度も何度も、染み込ませるように聴いて、歌って、体を動かして。何度も何度も何度も何度も。

なんでそうしていたのか、いまだによくわからない。
でもそうすると、めちゃくちゃ気持ちいい。
そして、それを渇望していたのがわかる。

そんなことはもうないのだと、僕は心のどこかで諦めていたのだと思う。
あれは若くて新鮮な感覚に、たまたま合った刺激がやってきただけだと。

まして、B'z やミスチルならともかく、全然知らない若いバンドの曲でそんなふうになれるなんて。

「売れてるから」でも「知ってるから」でも「好きだから」でもなく、初対面で一気に心を鷲掴みにされる経験。

いま、ふいに訪れたその嵐の真っ只中にいて、とても幸せな気持ちと、音楽家としては実力の差を見せつけられて悔しい気持ちと、なつかしさと不思議さがある。

そして、思った。

こんなふうに全く知らない人の歌が、ここまでの反応を呼び起こすのなら、自分がつくった曲だって、そうならないとは限らないじゃないか。

不遜とは思えなかった。
むしろ、一切そうならないと決めつけることの方が傲慢に思えた。

なんか、そういうことなのだ。
歌をつくって分かち合うということは、そのくらい不思議に満ちているのだ。

そうなるかもしれない。そうならないかもしれない。
でも、自分が思いっきり表現したことが、そんなふうに強烈に受け取られることは、ありうる。

なんてコミュニケーションなんだろう、音楽って。

そして、僕は「もっともっと」と飢えている。

もっといい曲に出会いたい。
歌がうまくなりたい。ギターが弾けるようになりたい。

そして、いい曲がつくりたい。

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