未知とso_good

未知と so good

 この本が、面白い。

内田樹さんと精神科医の春日武彦さんの対談本。
2005年の本だけれど、いまでも十分に通用する。

いろんな箇所に「よくぞ言ってくれた」という快感があって、こういう読書は本当に楽しい。

中でも、今日紹介したいのは、ここ。

創造の根本にあるのは、この「自分がなぜこんなものを創り出したのか、その起源も生成プロセスも私は言えない」という創造についての無知なんですよ。人間は自分について「知らない」からこそ生きていける。

ほんとそうだよな、と思う。

たとえば、このブログにしたってそうだ。
どうして今日この話なのか、いま何を書くのかだって、あらかじめ決まっていない。書いているうちになにか思いついて、言葉にしてみて、そこからまた、次の言葉が生成されていく。

それがひと連なりの文章になったときに、自分でも知らなかった意味を為す。「そんなこと思ってたのかよ、おれ」と驚くこともしばしばだ。

「あなたのうた」という仕事で、人の話を聞いて歌をつくるときには、この現象はもっと顕著になる。

話を聞いたあとに頭の中を流れてくるメロディーをボイスレコーダーに吹き込む。そこに歌詞をつけて、伴奏をつけて、ひとつの曲にする。

すると、最初は想像もしていなかったような物語が展開されたり、話の中に出てきたフレーズが思わぬところに使われたり、「なるほど、この人が主人公だったのか」と気づかされたりする。作っているのは僕だけれど、感覚的には最初の観客に近い。

内田樹さんは、おしゃべりもそうだと語る。

だいたい、人が人と話をする理由っていうのも、自分が何を言うかわからないからでしょう? これから何を言うかわかっていたら、例えば、たとえ五分間でも、これから後自分が春日先生に向かって何を言うかあらかじめわかっていたら、ぼく、しゃべる気なくなりますよ。退屈で。

わからないから、しゃべる。
しゃべってみて、しゃべったことに自分で驚く。

この驚きと不思議がなければ、どんな行為も続かないように思う。
そして「話していて面白い人」というのは、このような驚きと不思議に自分を導いてくれる相手を指す。

ちなみに同書の中には、こんなやり取りもある。

内田 自分自身のなかの秘密、何者であるかわからない自分、なぜ自分はこんなことをしゃべっているのか言えない自分。そういうものは、やっぱりわからないままの状態にしておく方がいいんじゃないかと思うんです。「ほんとうの自分」探しとかいって、そういう「無知」のままにしておくべきところをできあいのフレーズで粗雑に言語化するのって、ほとんど自殺に類した行為ですよ。

春日 ほんとうにそうですよね。自分自身に対するスリルを消し去ってしまうんですから。

「本当の自分」「自分の本当」「自分の本質」といった言葉を仕事上使ってきた者としては、ぎくりとした。

「もっと自分を知りたい」という欲求は強い。
しかし、核のところは無知のままでいい。

人間は自分について「知らない」からこそ生きていける。

そうかあ、そういうもんか、と思いながら、残りのページを読み進めている。フェイスブックで誰かが勧めていた本だ。誰だったか忘れてしまったけれど、本当にありがとう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このブログのほか、メルマガでも毎日文章を書いています。
よかったら遊びに来てください。
↓  ↓  ↓
音のないラジオ「生きているQ」
http://urx.blue/XDoh

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)