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【発達障害】受診したきっかけ

こんにちは。

最近ADHD/ASDの診断を受けたものです。
(まだ仮ですが、来月に診断書を受け取りに行きます!)


今回は私が心療内科を受診して発達障害のテストを受けるまで流れを記事に残すことにします。


元々、自分は平凡な人間だと思っていました。

いや、むしろ必要とされない人間だと思っています。


(幼少期は覚えていません)小学校の頃は割と友達もいて元気でしたが、よく母に

「空気読めよお前」

と、怒られてよく泣いていたのをすごく覚えています。

母子家庭でお仕事が大変だったのも相まって割とそこから症状が出てた私に対してカサンドラのような状態になっていたのだと思います。

ただ、母はお酒を飲むと人格が変わるタイプなのでお酒を飲んでいない時は優しい部分もありました。

しかもお酒を飲んで言ったこと、やったことが曖昧な部分があって(はぐらかされてるだけかも)タチが悪かったです。


小学4年生の頃の目標は、

“1日だけでもいいから、ママに怒られない日”

を、作ることでした。

結局叶っていなかったんだろうな。


当時は、空気読めないと言われても幼かったのもあり、母に怒られているけれどその原因はわからない、といった状態でした。


よく友達とそのお母さんとご飯に言ったりすると、母は私を小突いたり、足を踏んできたりしたので今思えば症状はその頃からしっかり出ていたようです。



中学校では、小学校の時友達だった子たちとの距離感が上手く掴めず、クラスにも馴染めず、空気の読めない言動ばかりで一部の人に完全無視されたり、目の前で悪口を言われて笑われたりしました。


私にも悪い部分が沢山ありましたが、それを少しづつ理解してしまったが故に自己嫌悪に陥り、

自傷行為をしてしまったり授業中に緊張でそわそわしてしまい、トイレに逃げることがよくありました(結構頻繁にお腹下したりして大変だった)


この頃から、独り言の症状が出始めました。

私は本当に無意識でしたが、委員会の時に他クラスの子に指摘されました。

当時はそれが発達障害の症状だとは知りませんでした。


とにかく恥ずかしすぎて

「え!うそ!恥ずかしい!私なんて言ってた?!」

って聞いたのを覚えています。

すると、

「ぶつぶつ言ってるから何言ってるかはわからない」

と言われてしまい、それが本当なのか、それともやばいことを言っててそこまで本人に伝えるのはちょっと、、、と思われて適当に答えたのかな、とか色々考えてしまってパニックになったのを覚えています。


それからは、人の視線に更に敏感になりました。

指摘された後も授業中に凝視されることは思い返せばよくあったので多分独り言を言っていたのだろうか、、、。はずかしい。



中学校は割となんとか卒業してめでたく高校生に突入しました。

私が入学した高校がかなり治安が悪く、暴力とかがあるわけではないが、陰口などがとても酷かったのを覚えています。噂話とかもよく聞いたな。


高校では何人か友達ができたけど、やはり私がおかしなことをしてしまい、笑いものになったりしました。

授業中に私のことをずっと観察してくる女の子もいました。

その子は噂好きで面倒臭い女の子だったので、高校生になってからは授業より独り言を話さないように口を閉じることに集中し始めました。


先生からも周りからもおかしい子扱いだった気がします。

面白い、と言ってくれる子もいましたが、それが良い意味でなのか悪い意味なのかは正直知りたくないので考えないことにします。


そんな場所で当たり前のように自分の失態が積み重なって押し潰されてからは朝に起きられなくなってしまい(原因は夜更かしなので当たり前)、高校2年生の夏休みに突入しました。


文化祭実行委員になったこともありがんばるぞー!と思いながらクラスの子に朝7:30に学校集合で!とか言ってた、、、


本当に馬鹿すぎて笑えない。
しかも自分結構遅刻してて許されない人間でしたね。



そして高校2年生の夏休み終わりに少し事件が起きました。

母親が帰ってこなくなりました!

というのは語弊がありますが、何回電話かけても繋がらなくて、とうとう捨てられてしまったか、、、と絶望しました。

元々退学を考えていたのもあって、これからは私がお金を稼いで1人で暮らしていかなきゃいけないんだ、と思い通信へ転学することを決意しました。

出席日数足りなくて体育も成績1でした。
(人生初めての1で流石に落ち込みました。自業自得)


その後、母とは無事に連絡が取れましたが、彼氏の家に住んでいたそうです。


そこからは姉と2人での生活になりました。
元々母に家事を任せられていたので、普通に生活は可能でした。

家賃も水道代とかも当時はまだ仕事をしていたので母が払ってくれていました。
流石にそこはしっかりしてた。

ですが食費は全て実費だったので少し大変でした。

元々、高校に入学した年からバイトをしていたのでお金はありましたが出費が増えてしまい割と困っていました。

親の存在はやはりでかいなと思いました。


私の場合、初めてのバイトは1年ほど続きました(これが最長)。

他は半年だったり、1週間ももたなかったものもありますね。

長続きは当然しませんでした。

先輩の言葉が読み取れず、1日に1回はミスをして、クレーマーに目をつけられたり、等々

原因は沢山ありますね。


今現在もバイトをしていますが、勤務日時に融通が効くのでとても働きやすいです。

もちろん嫌なこともありますが、時給が高いので頑張れています。



話が戻りますが、全日制の高校を退学して通信制の高校に転学しました。

全日制に通ってた頃の単位を引き継ぐことができたのですが、3年生に進級するにはかなり頑張らないと行けなくて、体育のスクーリングにレポート40枚ぐらいやった気がします。

入学直後に体育のスクーリングとして皆んなで歩いたのですが、その時に隣にいた女の子と好きなボカロPさんが被っててすごい楽しくお話しできました。


その後も、数人友達ができましたが人間関係を持続するのが苦手な私は自ら疎遠を選びました。

どうせ嫌われてしまったんだろうな、嫌いなのに私のストーリーとか投稿見るの不愉快だよな、と思いよく連絡先を消したり、距離をとったりしてしまいます。

今ではそれを人間関係リセット症候群と呼ぶらしいですね。それも発達障害の症状によく見られるらしいです。


まあそんな感じで、自分は悪い意味でみんなのようにはなれないなあ、と塞ぎ込みながらも無事高校を卒業しました。


大学に進学はしたいと思っていましたが、特にやりたいことがなく迷っていました。心理学には興味あるけど、就職するってなったらもっと違う学科の方が稼いでいけるのかも、、、(なお、実力は絶対に伴っていない)

と、考えましたがそもそも私は空想することが大好きで、可愛いお洋服を集めるのが好きだったので服飾の専門学校に進学することを決めました。

強い覚悟があったわけではないけれど今も普通に楽しいです。


独り言だったり、自分の性格もあり、新しい環境でまた嫌なことがあったらどうしようと思いながら入学しましたが、優しい子ばかりでいじめのようなものは一切ありません。

本当にありがたい。
ですが絶対に迷惑はかけているので気をつけなきゃです。


学校では特に傷つくようなものはあまりないのですが、学校が家より遠いところにあり、交通手段を使うことが圧倒的に多くなりました。


よく使うようになってから気づきましたが、私は電車がとても苦手です(バスも少しだけ、、、)


何故なら、密封空間だからです。
座れるならまだしも立ってるのがとてもキツイ、、、。

大体いつもパニックを起こして目的地じゃない駅で降りて落ち着いたらまた乗る、を繰り返しました。

(今はなんとか工夫をして少しだけなら乗れるようになりました。)

それに加えて、独り言。
これがやっかいですね。

私が独り言を話す時は大体何かに集中している時やストレスが溜まっている時(嫌な考えにフォーカスしちゃってる時)、だと推測しています。

独り言を言わないように意識している時は口をしっかりぎゅって閉じてるので、必然的にそうなります。


電車だと元々人混みが苦手なのもあり、時間帯によっては満員電車でたくさんの人が密封空間にいる、と意識すると気持ち悪くなったりします。

そんな中、独り言を喋っていた時があるみたいで、私の周りの人がまだ出発していないのに逃げたり、あ〜そういう感じね、と友達で言い合ってる人がいたり、笑われることもありました。

全て被害妄想だと嬉しいのですが、残念ながら目線も感じますし、私の周りだけあからさまに人がいなくなったりしたので事実だと思います、、、。



そういう出来事があったりして、外に出るのが怖くなってしまい布団に篭る時期がありました。


その時に、そんなに私の独り言はやばいものなのかな、とやっとしっかり意識し始めました。

今まで、独り言=障害の症状

だとは考えてなくて、ただ単にそういう特徴を持っているだけなのかと思っていました。

なので改めて調べてみると、当てはまる障害が何個かありました。

・統合失調症
・双極性障害
・発達障害

この3つです。

ですが独り言にも種類があって、私みたいにぶつぶつ系の独り言、誰かと話してる系の独り言、特に問題なしの独り言。

大きく分けてこの3つ。
私に当てはまるのはぶつぶつ系の独り言でそれに当てはまる病気が発達障害と双極性障害でした。

(高校生の時から)双極性障害も確かに当てはまる部分が沢山あって病院の人とそこも心配だね、と話をしている最中ですが、

私に1番当てはまるなって思ったのが発達障害でした。

そこから発達障害についてかなり調べました。

自分の自己紹介?!と思うようなものもあれば、いやこれは違うな、と思うものもありましたが、
症状のでかたは十人十色だというので、結局検査をしてみないとわからない、ということで病院を予約しようとしましたが、

どこも初心1ヶ月以上待ち、、、?!!


そんなに待ってたら絶対行かなくなっちゃうよ、、、


と、思い藁にもすがる思いで最初に行ったのが脳波検査でした。
qeeg検査ってやつですね。

(後にあの検査はあまり信憑性がないものだと知って少し後悔。)

結果はこんな感じでした。
(何か皆様のお役に立てれば、、、‼︎)

結果としては、ADHD/ASDの特性大と言われました。

抑うつ状態もひどいねと伝えられました。

確かに信憑性があまりない検査だとは言われているようですが、興味深いですよね。

口コミを書くことで安くなるようでしたが、やめておきました。


後ほど、これは特性を調べるものであって本当に発達障害か調べたいならWAIS検査やらなんやらをしてもらわないといけないのだと知り、心療内科になんとか受診しました。

興味のあることはとことん調べるのに大事なところが抜けてるのが私っぽい。




長くなりましたし、言葉も上手くまとめられてないとは思いますが、こんな感じで私は発達障害の検査に行きました。

母が発達障害への知識がないのもあり、私もかなり無知だったので気づくのに遅くなりましたが、今までの困り事は大体発達障害が原因だったのだと知れてスッキリした反面、これを背負って生きていくのか、、、と登山のスタート地点にいる気分です。


気分の落ち込みも最近まで止んでいたのですが、また大きなものが来そうで少しだけ怖いです。

前回の記事で、学校の支援の人に個性だと思うようにすればいい、と言われて嫌だった気持ちをまだ引きずっています、、、。

個性で済まされる人は周りに友達沢山いるよなぁ、、、

とか、

そもそもこの人は発達障害についてしっかりした知識あるのかな、私が説明した方が良かったのかな、いやでも烏滸がましいかも、などとぐるぐる考えてこんなちっぽけなことですが泣いたりもしました。

原因がわかっても、まだまだ試練は多いですね。


最近はSNSでも、ADHDという言葉をよく見かけますよね。

私も発達障害について詳しく調べてる前からこのアルファベット4文字は存じておりました。

そしてファッションADHDという言葉も聞くようになりましたね。

→動画などで、病院を受診して診断を受けてないのに、遅刻癖、天然キャラ、等があるので自分はADHDだと思い込み、自己紹介として記載するということらしいです。


前まではそういうのを疑ったことがなかったのですが最近は、本当にそうなのかな、という気持ちと、この人も仲間だ〜!オープンするの勇気いるのにすごいな!という矛盾した感情が生まれて疑心暗鬼になっています。


発達障害は見た目じゃわかりにくかったりもしますので難しいですよね。


発達障害だと診断された新参者?(生まれた時からそうだけどね)ではありますが、無理せず生きられたらいいな、と思います。


次の投稿もなんかほのぼのしたやつを載っけてみたい。

それではまた〜!


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