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2-01. 4次元球が通過したら

 あなたは、働かなくても生活できるようになりたいですか?

 そう聞かれたら、僕は迷わず「イエス」と答える。時間の許す限り、考えたいことがたくさんあるからだ。

「3次元空間を4次元球が通過したらどうなる?」
 塾講師のバイトのときに、社員の先生方とした雑談だった。
「具体例から考えた方がいいよね」
 と、先生の一人が言った。

 目の前にある、生徒から集めてきた答案用紙。この紙は2次元空間だ。僕は一番上の一枚を手に取る。丸文字の、女子生徒が書いたものだ。
 その答案の、空欄の右横には、目つきの悪い豆腐みたいなキャラクターが落書きされていた。

「解けなくてどんな気持ち?」
 とセリフが書かれていて、頭の上には、キャラクター名だろうか? 「煽り君」と書かれていた。

 この「煽り君」がいる世界が、2次元空間。

「そこを、3次元球が通過すると仮定する」
 教員室の長机。向かいに座った館脇先生が立ち上がり、僕が手で掲げる答案用紙に向かって、野球ボールか何かを投げる仕草をした。架空のボールが、答案の真ん中を突き破る様子を頭の中で想像する。

「はい。では、今のシーンをスロー再生」
 館脇先生の言葉に従い、想像上の動画プレイヤーを、これまた想像上のリモコンで最初に戻す。そしてスロー再生。

 放物線を描く……程の距離はないから、まっすぐ飛んできているかに見える架空の野球ボールが、答案用紙に迫る。その紙の中にいる「煽り君」は、まだそれに気づかない。

 紙の世界に謎の点が生まれた。答案用紙と架空の野球ボールとが、点で接したんだ。接点P。煽り君はまだ、「両辺を2乗して楽しい?」と数式を煽っている。

 謎の接点Pは、謎の円Cに変わる。架空の野球ボールが、答案用紙を少しずつ、突き破りつつある状態。煽り君は、謎の円Cに気づく。「おわっ! なにこの円C!」と毒づく。いや、煽り君の視点では、その円にCという定義(ロゴス)が与えられていることを知らないから、「なにこの円!」と言うだろう。

 謎の円Cは徐々にその直径を大きくし、煽り君が「か、拡大しやがった!」と驚き、尻もちをつく。

 しかし謎の円Cは、直径が最大になると拡大を停止。今度は、次第に縮小を始める。煽り君は「ち、縮んでいく……」と驚く。謎の円Cはぐんぐん小さくなり、謎の接点Pへと戻り、そして。

「き、消えた、だと?」
 煽り君は、額の脂汗を拭いて立ち上がり、再び「式変形、ミスってるよねぇ? 右辺を2倍にするの、忘れてるよねぇ?」と、数式を煽り始める。

 脳内スロー再生、終了。それを見計らったかのように、向かいに座り直した館脇先生は言った。
「今のイメージを、3次元空間に拡張すればいいよね?」

 この思考の流れを踏めばわかる。3次元空間を4次元球が通過したら、世界に点Pが現れて、それが球Sになり、球Sが膨らんで、そして縮んで、点Pになって、消える。もしそんな現象を目撃したら、「ははーん。4次元球が通過したな?」と僕は認識することができる。他人からは「何言ってるの? お前」と扱われるだろうけど。

 館脇先生は、こういう「脳内イメージ」を安心して語れる、稀有な相手だった。頭が良いだけじゃなく、まさに文武両道の人。初めての草野球で、館脇先生がたまたま投げたボールが時速150キロを超えていて。なんとプロ野球からお誘いが来た館脇先生は、塾講師を辞めて投手へと転向。結果、お会いすることもなくなった。塾バイトに興味を失った僕も、後を追うように辞めたんだけど。

 金曜の夜。カフェで一人、アイスコーヒーを飲みながら、そんな昔のことを思い出した。来週からは「スーパープレミアムフライデー」という制度が導入されることになっていて、もっと早い時間に仕事から解放されることになる。

「3次元空間を4次元電車がガタンゴトンと通過したら、どう見える?」

「その電車が、8両編成だった場合は、心臓が8回拍動するかのようで、1秒で通過したらエイトビートだろうか?」

「3次元空間に4次元赤ん坊が、成長しながらゆっくり入ってきて、老いながら出ていったら、どう見えるか?」

 いろいろと派生形を考えてしまう。そんな事を考えても、1円にもなりはしないのに。役に立たないことを考えている場合ではない。嫁が待ってる。

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