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令和日本の〝居場所づくり〟をドラッカーから考える

2022年11月19日に北海道函館市でドラッカー学会の大会が開かれる。そこにぼくも登壇させていただく。

もし可能であれば、リアルでも大歓迎だが、オンラインでも配信されるので、ご参加いただきたい。

大会のテーマは「居場所」である。そこでこの記事では、「居場所」について考えてみたい。特に、ドラッカーと居場所の関係について考えてみたい。ドラッカー流「居場所づくり」について考えてみたい。

ところで、ドラッカーというのは知られているようであまり知られていない。「マネジメントの創始者」としては有名だが、ただ単に「偉い学者の先生」と思われているところがある。

それはそれで間違いないのだが、ドラッカーにはもっと個性的な思想や哲学というものがある。それを、ここでは紹介したい。

ドラッカーは、1909年にオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンで生まれた。生まれてすぐに第一次世界大戦があった。そこで祖国は敗れ、帝国は分割されてしまった。国の規模は一気に10分の1にまで縮小した。

さらに、20歳の頃にはナチスが台頭してきた。その頃、オーストリアはドイツと同盟国のような関係にあり、ドラッカーはドイツ・フランクフルトの大学に通っていた。そのため、ユダヤ人だったドラッカーにもナチスの脅威が迫っていた。

そこでドラッカーは、なんと1933年に家族とともに国外逃亡を果たす。まだナチスが政権を取る前だ。実に素早い動きである。そのため、実害はほとんどなかった。

この頃から、ドラッカーの「未来を見抜く目」はずば抜けていた。後年には、あのチャーチルでさえ否定したドイツとソ連の不可侵条約締結をも予言する。そんなふうに、まるで未来を予言したかのような発言が際立っていた。

しかしドラッカー自身は、自らの発言を「予言」と評されることを嫌った。なぜなら、それは未来ではなく、「すでに起こった現実」ととらえていたからだ。すでに起こったものの、まだ顕在化していない現実を見て、それを伝えているに過ぎないと。

例えば、ドラッカーは政権を取る前のナチスの現実を見ていた。当時から、彼らは嘘ばかりつき、言っていることが信用できないと分かった。また、それゆえに人気を博し、人々の熱狂的な支持を集めていることも分かった。ドラッカーは、その現実を見ていたから逃げたというのだ。逃げた時点で、それは「未来」のできごとではなく、すでに起きた「現実」だった。後年起こった大虐殺は、それが顕在化したに過ぎないと。

ドラッカーは、この頃から「現実」を何よりも重視するようになる。現実を見ることを自分にも課したし、他者にも求めた。その逆に、現実を見ない人を鋭く非難した。はっきりと嫌っていた。かなり強い口調で否定した。

なぜなら、現実を見ない人こそが、大きなわざわいをもたらすからだ。その筆頭がヒットラーだったが、それに従ったドイツ国民も同罪だった。彼らは皆、現実を見ないがゆえに、大きなわざわいを引き起こしたのだ。

では、彼らは現実を見ない代わりに何を見ていたか?
それは「理想」である。あるいは、理想を概念化した「主義」である。英語で言うと「イズム」だ。彼らはイズムを構築し、それが表す理想を追い求めた。だからこそ間違ったのだ。

そのため、ドラッカーは理想を嫌った。あるいはそれを標榜するイズムを嫌った。そして、現実を直視するよう、口を酸っぱくして説いた。彼がマネジメントを研究したのは、それが現実に基づいた社会運営の方法だったからだ。理想ではなく現実を見るための方法論だったからだ。

そして、ドラッカーが見抜いた通り、その後にマネジメントが社会が到来した。マネジメントだけが、20世紀社会で機能した。現実をより良いものとし、大きなわざわいを避けることができた。

だから、だいじなのは「現実」だ。ドラッカーには、マネジメント以前にまず「現実重視」の姿勢があり、それが彼の人となり、あるいは考え方の根本をなすものなのである。

この考えは、令和の時代を生きる我々にとっても、とても重要なのではないかと考える。なぜかというと、今の日本人は、ほとんどが「理想」を追い求めるようになっているからだ。みんな「イズム」を持ち、それに則って生きている。現実を直視せず、理想ばかりを追い求めている。いや、現実を否定し、むしろそれを積極的に無視さえしている。

今、日本社会は疑いようもなく低迷している。さまざまな意味合いにおいて低迷しているが、一番は「未来を担う若者に元気がないこと」だ。彼らに希望がない。おかげで、生きる気力も失われてしまっている。つまり若者に「居場所」がないのだ。

今、多くの若者が自殺願望を抱えている。実際、自殺する若者も増えている。それは、彼らの未来に希望がないからだ。なぜ希望がないかといえば、理由は一つしかない。

これこそが、一番避けては通れない「現実」なのだが、それは「老人が多すぎる」ということだ。若者には、社会構造的に「多くの老人を支えていかなければならない」という苦役が課せられている。社会の大部分を老人に占拠されてしまって、若者の居場所がなくなっているのだ。

日本社会を大局的に見たとき、このことが一番の問題と考える。従って、ぼくのテーマは「どうしたら若者の居場所を作れるか」ということになる。それは同時に、「どうすれば老人が若者の邪魔をしないか(若者の希望を奪わないか)。ということになる。これが現実である。この現実から、目を背けてはならない。

我々は、取り分けドラッカーの考えや生き方に共鳴する者は、この現実を避けては通れない。いや、避けてはならない。そのとき、もはや理想論は通用しない。理想論を追求すれば、若者の自殺はますます増え、それに伴いやがて当の老人までもが居場所を失うだろう。そうして日本は総崩れとなってしまう。

だから、老人は脇へどき、若者の居場所を作る必要がある。それが「現実」である。現実の居場所づくりだ。

そしてそれには、「老人を大切にしなければならない」という理想を、まずは捨てなければならない。そうして、若者に生きる希望を与えるという現実の課題と向き合わなければならない。

それが、令和日本の〝居場所づくり〟をドラッカーから考えるときに、避けては通れない一番の課題となるだろう。そこでドラッカー学会の講演では、老人がどう若者たちの居場所をつくるか、ということについて述べるつもりだ。

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